富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

恒生銀行

fookpaktsuen2013-08-21

陰暦七月十五日。中元旦。盂蘭盆會。華南では一日早く盂蘭盆會に応ずる仕来りあり。香港は勿論だが邪教廃し一神教=毛澤東主義に帰依したはずの中共でも広州でお盆の入りに路上で蝋燭や供物燃やす風俗盛ん。北角でミニバス始発場所にある士多(ストア)に飼い猫ゐるの見つけ猫愛でるために缶ビール購入、で帰宅途中でいゝ気分。香港殯儀館でかなり身なりよき弔問客ら多くマスコミのカメラマン群れフラッシュの嵐。誰の葬儀か、と思へば恒生銀行の利國偉・前董事長。享年九十五。1946年に恒生銀行前身の恒生銀號に入り1960年に銀行となつてから64年には副董事長で83年から董事長。65年に香港株価暴落の影響で取り付け騒ぎあり経営困難に陥り香港上海匯豐銀行(現HSBC)傘下に(それでHSBCのATM機で恒生銀行カードは使へる)。この恒生銀行最大の危機は銀行創業者の一人である何善衡の指示で利國偉が匯豐側と交渉し僅か一日で匯豐がHK$51mで恒生銀行の51%の権利得て恒生側は資金不足補ひ倒産免れたもの。恒生といへばハンセン指数でこれは利國偉の推進で1964年7月31日の株価指数をば100とし公開して50年、香港の株価指数として世界的に定着し現在が22,000くらゐで49年で220倍以上、毎年平均12%の上昇。恒生銀行といへばかつては日本人訪港者の間で「日本円からの両替は恒生銀行」と定着してゐた時期あり。30年以上前に『地球の歩き方』にもさう出てゐたし香港変換前はさう言はれ続けてゐた記憶あり。今でこそ外貨レートは銀行間で大した違ひもなく、何より銀行は外貨の現金両替は面倒なだけで(銀行ぢたい現金「券」調達の必要なし)各行とも両替手数料設定。だが当時はレートも異なり街中の両替屋(重慶マンションの両替屋など評判だつたが)厭ひ「両替は銀行で」だと確かに恒生銀行のレートが良心的だつたのは事実。当時は銀行口座開設もパスポートとHK$100ほどの現金で容易だつたものだから恒生銀行に口座開く旅行者も多く香港在住の日本人も銀行は恒生かなり多し。アタシもその一人。臙脂色の通帳が懐かしい。アタシは97年に同行で顧客対応の悪さに怒り「今日中に全口座解約するからな」と三行半突きつけStandard Chartered Bankに移行して左様なら。だがかつての恒生銀行がなぜ、それほどまでに支持高かつたか、といへば前身が銀號=銀荘=中国の伝統的民間金融で戦後の香港の経済成長のなかで個人企業への融資、取引に恒生銀行がかなり積極的だつたゆゑ(日本でいへば第一勧銀的)。銀行が通帳だつた時代、胸のポケットに恒生銀行の通帳とクロスやパーカーの金色のボールペン、電話番号簿と折り畳んだメモ……は香港の小企業の社長のイメージそのもの(拙論「香港オヤジのポケットにみる小宇宙」1992年の記事こちら)。それで上述の1965年の株価暴落でなぜ恒生銀行で取り付け騒ぎとなつたかも恒生銀行に庶民の貯蓄が集中してゐた背景あり。
▼ガーディアン氏でスノーデン漏洩記事にした男性記者の同性パートナーがヒースロー空港で英政府当局から9時間身柄拘束。二人の笑顔の写真入りで一面トップに出来るガーディアン紙、そして英国も大したもの。日本の新聞で記者がかりに世界的スクープをモノにした、としても記者の「同性愛の相方が」では新聞社としては、その扱ひだけで「親友……でどうだろう?」レベルか。で朝日なら週刊紙に「スクープ記事の朝日ホモ記者裏口取材でバックはお得意」なんて書かるだけか。
蘋果日報で李怡先生の社説「蘋論」に十四日「為甚麼香港搞成這樣?」と香港の今日々の政治的混乱憂ふ指摘あり(こちら)。
毀掉香港的核心價值,讓中共權貴可以隨心所欲在香港洗錢、犯罪,和以香港為跳板僭逃,可能是689的重任,因此他說他不會「自滿」。珍惜香港固有價值的人,該怎麼辦?只有抗爭,而且不要滿足於同自己「啱嘴形」的人同氣相求,呼喚你的周遭朋友,像劉警司說的:「我從來唔搞政治,但今日唔出嚟唔得啦。」但當然不是他的政治。
で、これで終はらず三日後に香港本土化和激進化思潮的興起(上)」こちら
港英時代的香港人,絕大多數只是在這個法治安居的「借來的地方」搵食,絕少人過問政治,如果關心政治也只是關心中國海峽兩岸的政治,英國人從來不把英國的政治帶來香港。六七暴動,文革,改革開放,六四,帶給香港人特別是民主派的,是「建設民主中國」,是爭取中國民主俾能帶給香港民主,以保障香港的法治和自由。這就是大中華民主派的社會意識基礎。
と状況安定に向けての提案か、と思つたが今日「蘋論:香港本土化和激進化思潮的興起(下)」こちら
當前形勢是:中國權貴資本主義的道路不會改變,梁政權的「羭社會主義」化和配合中國權貴肢解民主法治廉政的方向不會改變,香港爭民主反沉淪的本土化和激進化抗爭的潮流也不會改變。網絡世界所表達的聲音是:爭,無勝算;不爭,香港就坐以待斃。
と、もはやこの状況では香港民主化のためには多少過激でも抗争はやむを得ず、といはれる。
▼秋の臨時国会に提出される(であらう)秘密保全法案は(十七日都新聞「こち特」今日になつて読んだが)同法法制に関する有識者会議で議事録未作成、職員メモ破棄とかなり官僚暴走臭はせるが国民の自民党政府支持の結果で情報当世もやり放題となるもの。民度低きゆゑのこと致し方なしか。でこれに

エジプトの争乱が伝えられるが軍に排除されたムスリム同胞団率いる前政権側にも問題はあった。選挙での勝利を民衆からの「白紙委任」と勘違いしたいんだ。その誤解は現在の自民党にも通じかねない。しかも留め金が権力内部にはない。たとえゴマメの歯ぎしりでもメディアが責務を果たさねば。

と田原牧デスク。今日の「こち特」は東電再建すでに限界で破綻処理すべき、と金子勝教授(慶大)が語り牧ちゃんは

何回でも記す。福島事故は人災で東電や国のしかるべき人物に責任を取らさねばならない。東電に融資した銀行は守られて消費者が事故に伴う費用を電気料金で背負っている。それでも足りないとなると国民の懐に平気で手を突っ込んでくる。「逃げ切れる」という楽観が理不尽さの底に透ける。

となんて一刀両断の見事な指摘なのかしら。東電といへば福島第一での汚染水漏れにつき東電は当初説明の120ℓが300tに。一瞬、単位の間違ひか、と目を疑ふ。海岸線から500m離れた場所で海水への影響は「現時点では」あまりない、なんて「冷静な」指摘もあるが(翌日の朝日がタンク汚染水海に流出か、と報道あり)、もはや東電にこの核禍解決する力もなく、どうであれ原子力行政といふ国策に守られた中で死活意識もなく、国も鈍感なら民草はさらに鈍感。打つ手なし。国も鈍感といへば始まつたTPP交渉。推進の自民党議員らの議連「TPP交渉における国益を守り抜く会」で政府からの説明受けたが「政府側は交渉参加の際に署名した「秘密保持契約」を理由に交渉内容をほとんど公開せず「情報なしでは議論ができない」といった不満が噴き出した」と(朝日)。本当にアホそのもの。こんなこと最初からわかつてゐたことで自民党の議員ら、本当にTPPで「自分たちが」日本の国益守り抜けると信じたのが勘違ひそのもの。TPPも自民党に下駄を預けた国民が悪いが、国民に「好景気」のイメージだけで実際に何も利益の下りてこぬがアベノミクスにつきドイツ連邦銀行が(8月月報で)「一時的に成長を押し上げるが中期的には景気への効果はつかの間のものであることがはっきりする」と指摘。さすが独逸、その通り。
▼前内閣法制局長官の山本庸幸さん最高裁判事への就任会見(20日)で憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認につき「私自身は非常に難しいと思っている」と指摘。憲法判断司る最高裁判事が判決や決定以外で憲法に関はる政治的課題に言及は極めて異例。こんな国の運命に逆らふが如き一官吏の言及に晋三の不愉快さ代弁するが如く産経新聞が「集団的自衛権 首相は惑わず行使容認を」と題して「行使容認は憲法の条文改正によるべきだとの意見もあろう。しかし、安保環境が急速に悪化している以上、解釈変更による行使容認を急ぐ必要がある」と主張(こちら)。憲法改正のハードル高くなれば憲法無視といふのだから立憲主義どころか太郎の指摘通りナチスドイツなみ。ちなみにナベツネの読売は山本発言は無視で黙り決め込む(笑)。国粋主義国家らしく神奈川県教委が高校日本史教科書で実教出版外す圧力に28校が採択取り止め。教委委員長が「(実教出版の教科書には)県の考えと相いれない部分があった。(再考を求めた県教委の対応は)良い判断だった」と宣ふ。「県の考え」って何よ。県民の総意でもなく単に首長らと小役人の浅知恵に過ぎず。
▼都新聞(昨日夕刊)の吉見哉也「論壇時評」で今年の広島、長崎両市長の平和宣言が「絶対悪」廃絶を国に注文で一歩踏み込んだこと受け「当初は米国の原爆投下を正当化していた平和宣言は、やがて被爆者救済を語り始め、核実験を批判し、核兵器廃絶を目指していった」として「その中で国家以上に世界の都市や市民が主要は連携先として浮上してきた」とするのは「東アジアで、国家は再び危険な道に歩み出しかねない雲行きである」なかで両市の役割を指摘する点は本当にその通り。だが結びで「両都市が世界をバックに厳しく国に注文をつけ続けることを期待したい」と吉見先生。だが結局のところ、かうした平和主義と異なる政権選択してゐるのかぎり両市長がいくら核廃絶唱へたところで不可能。市長の平和宣言だけでは何も変はらないから何を選択すべきなのか、が問題。だが選択肢がない。
▼室山義正著『アメリカ経済財政史1929−2009』で水野和夫先生(日大・経済学)が朝日書評で書いていることのメモ。

民主党の福祉重視のリベラルな政策から共和党保守主義への転換が所得格差の拡大をもたらしたというのが通説であるが、財政関連データはこの見解を支持していない。人的資源支出(社会保障・福祉・教育など)が国防支出を下回っていたのは1970年までで、71年に両者の支出規模が逆転し、その差が開いていった。保守主義の時代では通常、人的資源支出は切り詰められそうだが、現実には保守化した白人高齢者を味方につけるために、どの政権も社会保障支出を増やしたのである。同時に、若者や母子家庭から高齢者へ所得移転する形で「貧困の配分」も実施されたので、中間層は没落した。

なるほど。タメになる指摘。