富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

96条の会

fookpaktsuen2013-06-17

農暦五月初十。今日は午後から天気回復と天気予報。だが朝少し日がさしたが午後も小雨。帰宅途中に早晩、ジムで5km走る。二日続けて突然走つたら脚が笑ふ。晩にUstreamで漸く先週金曜日に上智大で開催された96条の会発足記念シンポジウムの映像(こちら)見る。会場には白髪の元青年目立つが数百人どころか千六百名だか参加で会場は第二、第三と拡張し最終的に第九会場までの盛況。樋口陽一先生の基調講演。陽一先生も御年八十。憲法学の御大もさすがに大きな声で四十分に渡る講演は体力的に溌剌とはいかぬが八旬の憲法学者が今だとまだ現役なのか、それに頼らねばならぬほど後進に力がないのか、たゞ大学での教鞭は止めても著作には勢力的だつた樋口先生が普段、政治活動にけして身を挺してといふことも控へめだつたのに「こゝぞ」と奮起されたのは、それほど晋三改憲、ことに「96条弄ぢり」がいかに立憲主義の崩壊に繋がるものか、の危機感ゆゑ。憲法前文が自民党案では全て書き換へられるが「国政は国民の厳粛な信託」といふ観念をロック、ルソーでいかにも西欧的な、と嫌ふが大日本帝国憲法制定直前の有名な伊藤博文&森有禮の議論
森 「......臣民權利義務ヲ改メテ臣民ノ分際ト修正セン......」
伊藤「...... 抑 憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君權ヲ制限シ、第二臣民ノ權利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民ノ權利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ憲法ヲ設クルノ必要ナシ。......」
森 「臣民ノ財産及言論ノ自由等ハ人民ノ天然所持スル所ノモノニシテ、法律ノ 範圍内ニ於テ保護シ、又之ヲ制限スル所ノモノタリ。故ニ憲法ニ於テ此等ノ權利始テ生シタルモノノ如ク唱フルコトハ不可ナルカ如シ......」
これを取り上げ国民の権利について長州藩士で本来は「そんなもの」と思つてゐただらう伊藤(笑)ですら憲法制定にあたつては憲法が如何なるものか、を十分に理解してゐた、明治の当時でそれが今は立憲主義といふ理念すら理解されぬのが今で、憲法前文の「平和のうちに生存する権利」すら、それを具体的に憲法の条文で述べた、樋口先生に言はせれば日本国憲法で最も大切な「すべて国民は個人として尊重される」を自民党が「すべての国民は人として尊重される」と書き換へることの異常さを指摘されうる。「個人」をだうしてそこまで嫌ふのか、個人が彼らの所望する国家にとつてそれほど目障りなものなのかしら。そのあとパネルディスカッションとなるが山口二郎(北大)が談志なら同志社大の岡野八代は女講談の神田香織か、小森陽一先生のもご/\した喋りは柳橋師匠。で秀逸なるは長谷部恭男先生でまるで志ん朝、これが実に手際良く96条改定の危なさを解き憲法改正とは今の国民ばかりか子や孫たち未来の国民まで含み「将来の世代を含めた国民が納得できるほどの利益を守るための大原則を変えること」と、だから一政権が単独過半数を獲得した程度ではダメなのだ、現行憲法が理念と現実が乖離してゐる、と非難されるがそれのどこが悪いのか、理念は理念で大切にしていきませう、と。御意。この先生の喋りは実に見事。小森先生も、晋三が今年の四月廿八日に「日本が戦後の独立勝ち取った」桑港講和条約祝つてゐたが、一九五二年のこれと同じ日*1に実は桑港郊外に連れてゆかれ吉田茂独りがじつは日米安保条約(旧安保条約)に署名し、その前文に「アメリカ合衆國は日本が獨自の防衞力を向上させることを期待してゐる」と日本の再軍備促し自民党はまさに55年体制でこの再軍備目的として憲法改正を目的に保守合同で生まれた政党なのだ、だからそのために今日の手段がこゝまで強引になつてゐる点を指摘。御意。政治評論家的に山口二郎さんが本来もつと民意問ふべき原発社会保障などで民意無視しておいて自民党はなぜ憲法改正となると民意、民意と叫ぶのか、憲法改正では民意重んじ自主憲法改正の暁には国民の権利削られ国家に従順に、で民意などなくなり……の危険性。全く仰る通り。

*1:正確にはこの二つの条約の署名は前年の九月八日で発生が四月廿八日。