富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-06-05

農暦四月廿七日。芒種。昨晩、日本が蹴球W杯のアジア地区最終予選で豪州相手に引分て来年巴西で開催の本大会出場権得て、それが5回連続で1993年のドーハの悲劇から丁度20年、この試合では終盤、豪州に1点取られ負けたか?がロスタイムに本田なる選手のPKで同点に追いつき日本中が歓喜……の由。昔は日放協のNW9だけバカなキャスター大越のコメントにいち/\目くじら立てゝゐるのが虚しく見ないやうにしてゐたが、最近、あまりバカになるのでテレビは一切見ないので世の中の出来事翌日の新聞で知るのだが、今日はきつと香港でも日本人社会は昨晩の興奮冷めやらず、きつと誰彼会ふなり「いや〜夕べの試合」なのだらうからアタシも非国民と思はれぬやう努める。が今日の一番の驚きはアタシが昨日の新聞で瑞穂銀行の瑞穂コーポレート銀行との合併に合はせたOne Mizuhoなる広告が蹴球の日本代表チーム扱ひ、それが昨日の全国紙にカラーで一面広告だつたので、昨晩のあの本大会出場決定で、この広告の価値も宣伝波及効果もさぞや高騰したのでは?と思つたが今日の何度かの「いや〜昨晩は」の話題で、この広告のことアタシが振つても、相手が、朝日なんて読んでゐる非国民はゐないにしても日経読んでゐさうなビジネスマンでも(銀行の人も含め)皆さん「え、そんな広告が出ていたんですか?」で、いかにペーパーレスな(新聞もネットでチラッと見るだけ?)の時代になつてゐるのかしら、と痛感。今日は甲州絹(かいき)使つた山梨は槙田商店の紳士用日傘が届く。絹紬裏縞(けんちゅううらしま)で気分は芦屋の旦那衆、なのだが、絹袖なので雨は絶対にダメ、雨の多い香港で。見た目は雨傘だが天気のいい時にさしてゐて雨が降るなり途端に閉じてゐると、芦屋の旦那はんどころか、ただのアホどんや思われますがな。午後遅く中環にある養和病院の診療所。日曜日に診察されたC医師が今日は中環に当直で少し強くされた薬服用続けても空腹時の胃痛が遺り、その相談に。予約して往つたのにアタシの前の患者が診察室から80分ほど出てこず。C医師も中にゐて「いったい何が起きてゐるのかしら……」の渡辺淳一だが、結果的にこの患者、見るからに中環有閑夫人で少し精神逝かれてゐて通院が憂さ晴らしなのか医者相手に不調訴へ、の日々。往き先はメンタルクリニックで15分いくら、で医者を時間貸しで占領してくれるなら大いに結構だが固定の診察時間で医者を一時間半だか占領されては待つアタシらはたまったものぢゃない。処方薬の一つが在庫切れだといふのでハッピーヴァレイの本院まで路線バスで薬受取りに。今晩は競馬か。大人しく帰宅。
▼信報社説「愛國民主貫始終 國富民強共期盼」
中共在處理「六四」事件中犯下大錯,已經是毋庸置疑,在其黨內亦不時暗湧翻騰,但此刻要中央領導人公開認錯,甚至「平反」,顯然超出其維持管治權威和鞏固統治地位的信心。然而,就像北京要求日本正視和承認侵略歷史,效法絀國勇敢地拋開二戰罪行的包袱,以贏取國際社會的諒解與支持,得以輕裝前行。中共在對待六四這個歷史問題上,何不以此為鑑。
蘋果日報の蘋論「在香港主體意識下思考六四集會形式」(こちら)で李怡先生曰く
香港自89年六四後,原來多數市民也期望促使中共藉平反六四而走向民主,並由此獲民主中國賜給香港民主,近年香港本土意識的興起,與台灣一樣,全部原因也是中共唯我獨尊的對港政策和看到大陸的現實。在中共不可能有任何改變的前景下,香港人的主體意識的紒強是擋不住的潮流。在此趨勢下,支聯會的六四集會似應思考其他形式了。
▼国連の拷問禁止委員会で日本の刑罰制度が中世的といふ発言に日本政府代表する人権人道担当大使が「日本は人権先進国」と発言。さすがに言ひ過ぎか、と先進国の一つと言つたら会場で失笑があり、それに対してキレて「笑うな、シャラップ!」と。あらゝ……。この上田秀明大使、懐かしい、1996年に香港返還前でナショナリズム盛り上がり、香港の活動家亡くなつた尖閣&釣魚の島争ひのころの香港総領事。この島争ひを「小さな問題」とコメントしてしまひマスコミの脚光の取材の的となり日本人倶楽部の秋の音楽会で尖沙咀の文化中心に入ろうとしたところマスコミにつかまりカメラと記者かき分け会場に入る態度まで横柄などと叩かれた御仁。