富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

樋口陽一先生と96条の会

fookpaktsuen2013-05-24

農暦四月十五日。CSLにZ嬢が使ふ手機用にマイクロSIM貰ひに行く。彼女の番号はアタシのアカウントの付属のためアタシが行ったが細かい説明もせずHKID見せて(といふと国民共通番号制度の利点の強調のやうだが……嗤)マイクロSIMカード頂戴、と伝へると書類にサインするでもなくデータ処理のみで「はい」と。香港のこのテの作法は本当に便利。晩にイトヨリ焼いて飰す。その共通番号法が成立。あまりにも国民の議論も判断もないまゝ成立。年金受給で、とか厚生年金からナントカに変える際に住民票の提出が要らなくなる、とか利点強調するが一生のうち一度出すか出さぬか、の書類が数枚で、そのために投げ出す自由や人権の損失がどれだけ大きいか……三十年前ならあり得ないことだが民草の、民度がこゝまで低くなれば成立もやむを得ず。まぁ管理されるのは国民、それを自分たちが選んだのだから致し方なし。
▼昨日、樋口陽一先生ら名だたる憲法学者らが晋三の96条改正につき立憲主義の破壊だとして「96条の会」結成。朝日の記事では樋口先生「憲法学界の長老」と呼ばれてゐるが(本来、長老は5歳上の奥平先生のはずだが)「国会は3分の2の合意形成まで熟慮と討議を重ね国民が慎重な決断をするための材料を集め提供するのが職責のはず。過半数で発議し、あとは国民に丸投げというのは法論理的に無理がある」と御説の通り(今日もジャケットが素敵なダンディズム)。発起人に上野千鶴子、奥平康弘、姜尚中坂本義和高橋哲哉、長谷部恭男、山口二郎とおそらく平成のリベラリズムのオールキャストだが、これに改憲派小林節慶應)が加はつてゐるのがミソ。「憲法に縛られるべき権力者たちが国民を利用し憲法をとりあげようとしている」と憂ふ小林先生は「生まれて初めて樋口教授と同じ側に坐った」と(笑)。美談。天声人語も大正の寺内ビリケン(=非立憲)首相についての、この「96条の会」発足での樋口先生のコメント「立憲という言葉は当時の帝国臣民にも耳慣れない言葉ではなかった」に触れ「憲法とは政治権力が勝手をしないよう国民の側から縛っておくための約束事なのに、それを都合よく変えやすくしようと権力側が動き出す。これは憲法の存在理由そのものへの挑戦であり、立憲主義の破壊だ」と正論を説く。久々に天声人語読んだが「憲法の基本がビリケン宰相の時代ほどにも理解されていない。それが樋口さんの懸念だろう。80歳の三浦雄一郎さんも凄いが、78歳の樋口さんの奔走にも凄みを感じる。」って最後は昨日、エベレスト登頂の三浦翁まで登場。日本ってほんと年齢に触れるのが好きだこと。樋口陽一先生には申し訳ないが理念的には普遍的価値の体現者でも日本では先生の観念は高尚すぎて受け入られぬとすら正直思つてゐたが、まさかこの時期に晋三の改憲慌てで樋口先生がこゝまで世直しに参画する時代到来とは……これはいゝこと。それにしても金澤のH君の言ふ通り晋三は憲法96条改正は「手続きの話だから簡単に通るだろう」とタカを括つたものが、まさかこれほど議論になるとは全くの予想外。晋三が憲法学者芦部信喜の名を「私は存じ上げておりません」と恥じらひもなく言つたのが三月末。当時が晋三の勢ひの頂点か、あれから一ヶ月余で。せめて芦部信喜の名前くらゐ覚える程度は勉強しておけばよかったのに、とH君。御意。慎太郎も「憲法改正はエベレストよりも難しい」と愚痴った由。
狂言大蔵流茂山千作翁ご逝去。享年九十三。四年前の二月末、畏友村上湛君に誘われ千駄ヶ谷茂山千作・千之丞の会見られたこと幸ひ(日剰)。当時、すでに千作さん九十歳で弟の千之丞さん先に逝かれたが千作さんを湛君が「松鶴志ん生を足して二で割つたやうな名人」と、これも言ひ得て妙。