富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-04-29

農暦三月廿日。仕事で遅くなり流れで北角寿司加藤に飰す。右の写真のうち軍服を来て遊ぶ二人の政治家は説明も要らぬだらうが直立不動の少年は1945年に米従軍報道写真家のジョー=オダネル撮影が長崎で撮影のもので背中の赤ん坊はもう亡くなつてゐる由。
▼昨日の「主権回復の日」について。武藤一羊氏の言葉「さまざまな権利は国家が与える恩恵であるかのように書き換え国民の側を制限しかねない。「主権回復」とは現行憲法の「主権在民」を国民から取り戻すことを意味するのではないか」。この国民祝賀に対して沖縄の反発が左翼に引導されてゐる」とかなり右翼諸君から非難されてゐることに驚く。これについて金澤のH君が「言ふまでもなく沖縄県は保守県政であるし県議会は全会一致で反対、首相に手渡したオスプレイ配備反対の申し入れは県内41すべての市町村長の連名、これらをすべて左翼の謀略だ、とか本気で思つてゐるのだらうか、そも/\右翼はイデオロギーの別ではなく「同胞である」といふことに価値を見出すはずのもので、「同胞を守らない、なぜならサヨクだから」といふのは右翼の自己否定に等しい」。御意。それでも沖縄非難するのは、もしかすると琉球大和民族ではない、なんて本音があるのかしら、と。
▼廉政専員(ICACトップ)貧官湯醜聞。背景よくわからぬが簾政公署の高尚さ失墜の影響あり。信報社説(27日)「廉署嚴正勿稍怠 核心價值不容損」

香港廉政公署成立以來,惡鬥貪腐勢力,幾經努力,一改社會賄賂歪風,使「東方之珠」變得光潔明亮,在華人社會中成為表率。近年,內地政府在制訂反腐倡廉的政策和措施之時,也常借鑑香港的經驗。然而,假若香港的官員在這個時候反為沾染內地官場欲除未清的陋習,在觥籌交錯之中謀取利益,憑送禮餽贈拉扯關係,則不但為害香港,更禍延國家。(略)「千里之堤,以螻蟻之穴潰;百尋之室,以突隙之煙焚。」香港需要一個健康正直、充沛活力的廉署,是非纏身的廉署認真檢討、從嚴律己,誠刻不容緩。

と理念的にその通りなのだが同じ日の「湯顯明累廉署 專員「留後路」出事」(余錦賢)が面白い。McLehose総督創設の簾政公署、英国人トップ続いたが中国人で初のトップとなつたのが梁文建、これを襲ふ關佩英(懐かしい)が1997年の香港返還過渡期にトップ務め、この二人の高尚さは格別だつたが、その後、黎年、李少光、黃鴻超、羅范椒芬、今回話題の湯顯明から現任の白韞六も高級官僚である点は初代、二代目(關佩英)と同じだが黎年からはこの職が公務員としての最終職に非ず、その後も政府の高級職、政府関連の公職に就いてをり、さうなると政府汚職取り締まる簾政公署トップとしての仕事も人間関係や昇級など「いろ/\事情」も絡むのではないか、と。さらに昨今、政府高官には北京中央で全人代や政協の香港代表といふ「上がり」の名誉職あり、これがチラついては更に現職で公務高官の際の仕事に影響も出よう、と。御意。湯某もせっせと中共制服組接待は当然それを狙つたものなのかしら。写真右が今回話題の湯某、左は香港警察トップで現在は中共政協入りした鄧某。結局のところ香港自治をば壊すのは出世だけ貪欲な彼らも大いに貢献といふこと。