富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-04-27

農暦三月十八日。土曜ながら月末に向け公邸でかなり集中して仕事済ます。早晩に中環。ランドマーク地下の用品店で倫敦フォックス洋傘の折畳み傘購ふ。ほんと傘好き。九如坊の大斑樓で晩餐の約ありZ嬢と誘はれる。中環から結志街の市場抜け漫ろ歩くとAberdeen街にこゝ数年面白さうな用品店、小物屋など出来てゐたが軒並み家賃高騰で撤退のやう。空き店舗の看板ばかり目立つ。高級美食と評判の大斑樓は初めて。写真家K嬢と金融K嬢夫妻、I女史。彼女たちが紹興酒に旅され、そこで仕入れて来た紹興酒いたゞく。葡萄酒はCroizet-BagesのDe Paulliac 08年とCombier Crozes Hermitage 07年。この食肆、料理もまぁ見事だが、老獪で慇懃な給仕がけして広くない見世にじゅうぶんな人数でアンサンブルにやうに仕事する態に、もう無形文化財見るやうな気分。心地よし。写真家K嬢が「もし入手できたらね」と言つてくれてゐた駱駝牌の哺乳魔法瓶手渡させる。香港歴史博物館に展示されるほどの稀品(のしかも新品)でお値段もそれなり。彼女が今日入手の紅Aのチープな水筒も素敵。グリとグラね、と笑ふ。
▼香港政府高官の湯某、葉劉淑儀の子飼ひで葉女史の失脚など湯某には幸ひし税関局長から更には香港政府の簾政公署(ICAC)なる公正無私の象徴たる汚職取締最高機関の長まで歴任。見た目からして貧相で小狡さうだが「退任後の今になつて」税関局長時代の幹部食堂での大酒飲みや簾政公署トップ時代の在港中聯辦や北京中央高官への高価な贈品などあげつらはれ立法会の反政府派議員ばかりかかつての上司・葉劉淑儀すら「恥ずかしい」と非難。この湯某の脇の甘さは当然だが、気になるのは何故「退任後の今になつて」。これが簾政公署への圧力といふ見方もあり。湯某による北京高官接待には所属役所の高官も同席しており、湯某の公金浪費が問題にされた場合、関係した政府高官も、ことに現役のICAC幹部が証人として議会での証言等も場合によつては有り、さうなるとICACへの信頼も失墜。じつはそこが狙ひなのではないか、と。北京中央にとつて香港の政府から独立した機関ほど目の下のたん瘤はなく、裁判所、簾政公署、香港電台がそれ。司法は香港の最終審(最高裁判所)の判断も基本法に則り北京の全人代常委で覆すことも出来(香港居民の内陸生まれ子女の香港居住権など)、香港電台は公費運営を理由に政府の批判的な報道、視点に圧力をかけ、で簾政公署は公署内部の醜聞で、と。良い得て妙。
片山杜秀先生が、主権回復・国際社会復帰を記念する式典開催や閣僚靖国参拝などの動きを「国民国家が崩壊過程にあるからこそ起きる現象」と指摘(朝日)。

実に『安上がり』な国民統合の仕掛けですね。安倍政権が主権や国防軍、日の丸、君が代といったナショナルなシンボルをやたらと強調するのは「もう国は国民の面倒はみない。それぞれ勝手に生きてくれ」という、政権の新自由主義的なスタンスと表裏の関係にあります。

と切り捨てるやうに指摘(笑)。明治に近代天皇制用ゐた国民国家となつた日本は共和制革命や社会主義共産主義恐れ戦後の自民党は「社会党共産党よりも天皇を仰ぐ私たち保守の方が皆さんを食わせることができますよ」と経済成長で長期政権化したが安倍政権の国家観はすでにそこからズレてゐることを認識すべき、と。自民党改憲草案ではわざ/\条項新設し「家族は互いに助け合わなければならない」、これをオールド左翼は「天皇を家長とする家族主義的国家の復活だ」と批判するが全くピント外れで、これは自助努力の強要、家族で助け合つてもらふ謂はゝ「安上がり」。安倍政権は右傾化、軍国主義と批判されがちだが「国民の面倒はみない、でも文句を言わせないための安上がりな仕掛けをたくさん作っておこう」が安倍政権の改憲路線。「国民皆兵にして海外で戦争を……」なんて考えてゐるわけがない、面倒なことは少しでもやりたくないといふのが新自由主義

ただ、面倒をみなければ当然、国家としての凝集力は弱まります。富裕層は国外に流出するかもしれないし、貧乏人は暴動を起こすかもしれない。さあどうするか。以前のようにお金をバラまけないのなら、とりあえずは精神で統合をはかるしかありません。日の丸。君が代靖国神社。主権回復の日。あるいは国民栄誉賞もそうかもしれませんが、「俺たちは日本人だ」という雰囲気を盛り上げ、つらい目にあっている人ほど持っている「連帯したい」という感情を糾合し、文句を言わせないようにしようと。安倍政権を礼賛している右寄りの人たちは、実は自分たちも切り捨てられる側にいることに気づいていないし、左の人たちは批判のポイントを間違っていて、その意味では両方ともうまくごまかされてしまっています。

と片山先生の指摘が面白い。明日の式典に陛下が出席強要されてゐるが「今上天皇はまさにアメリカが占領時代に日本に植えつけた民主主義的な価値観を、ある意味最も体現している人物でもある。もし自らの意見を表明することが許されるなら……。一番よくわかっておられる。そう信じています」と、さうなのね、陛下はアタシたちの象徴。

安上がりに済ますにはうってつけの精神的風土が(日本に)あることは疑いない。ただ、それでも戦前の日本は「この戦争に勝てば大東亜共栄圏ができて日本は繁栄する」と、将来のビジョンを示している。所得倍増計画だって、みんな電化製品に囲まれていい暮らしができるよというビジョンを見せて、それなりに実現させることによって国民を統合していました。ところが、今の安倍政権はビジョンを見せたり約束したりはしてくれません。「美しい国」なんて何の実態もないし、アベノミクスもお祭り囃子に過ぎないでしょう。踊れや踊れ、でもその後は自助だよ知らないよと開き直るのは、日本においては新しい統治のパターンです。そもそも日本が国民国家であるということが、もはや当たり前ではなくなってきています。フランスでは高額な税率を嫌い、有名人が実際に国籍を捨てている。高度資本主義国家のたどる末路です。安倍政権は、日本も将来、そういう国にならざるを得ないというビジョンは持っているのではないでしょうか。国民国家が崩壊の過程にあるからこその、主権の強調。今回の『主権回復』をめぐる動きは、そういう歴史の皮肉として捉えられるべきです。

……以上、聞き手は高橋純子記者。最近の朝日、優れたインタビュー記事は女性の記者が目立ちませんか、先日の吉岡桂子女史の中国の週刊誌「新世紀」主筆・胡舒立のものといひ上出来。