富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

水城台北

fookpaktsuen2013-02-21

農暦一月十二日。朝十時半まで旅寓で机に凭る。旅先で日記書いてゐる暇あるなら出街でもすれば?と我ながら思ふが。台北車站のコインロッカーに荷物預け忠孝敦化の誠品書店。書籍数冊漁るなか舒國治著『水城台北』(皇冠出版)は一番面白そう。戦後の台北の都市化が「水」をキーワードに語られ都市風景の写真も興味深い。午後は西門漫歩。台北車站に戻りコインロッカーから荷物出そうとしたら、先づ解錠に使ふ暗証番号印字されたレシートが見当たらず。荷物出せず→空港に遅れ→飛行機間に合はず……と最悪の想定にぞっとして冷や汗たら/\。幸ひに財布の中から丁寧に畳んだレシート出てきたが今度はロッカーの追加料金の20圓に10圓硬貨1枚足らず両替機は百圓札が50圓硬貨2枚になるだけ、で仕方なく隣りの松山站往きの乗車券(小人料金で8圓)1枚購ひ10圓硬貨得る。台北車站のバスターミナル、脳性麻痺なのだらう、初老の男性が暇持て余し時おり奇声上げながら勝手に係員の真似は一瞬「うざい」と思つたが空港行きバスの客の列が通行人に邪魔な方に並んでゐたら「こっち、こっち」と列を曲げてガイドポールも立て空港行きバスが入ってくると乗車促し……の仕事ぶり。バス会社の正規職員もこの所謂「ノータリン」氏を邪魔者扱ひもせず微笑ましい。この三日ずつと曇天か小雨だつたが台北市外を出る一瞬、雲の合間から青空。名残惜しい台北。空港に着く前からはまた濃霧と小雨のなかに。台北桃園空港かなりターミナルの改修進んだが航空会社ラウンジは旧態依然。CX473便で香港に戻る。A330-300の飛行機が香港の空港に着陸したのが20:20で自宅に到着が21:15分。旅荷解き片付け。帰宅した晩のうちにクレジットカードの控へ整理からチケット半券などスクラップを手帳に貼ることまで済ましてしまふのがアタシの流儀。
▼信報の林行止專欄が「與人為善行方便 直言有忌自古然」(十九日)と題して練乙錚への測量梁からの圧力に対して言及。

談及言論(和新聞)自由,順便回應讀者友人近日的問題:「如果仍辦《信報》,你會怎樣回應行政長官發律師信給特約撰述練乙錚及報社事件?」
筆者的答案很簡單。第一、文人,尤其不擅交際、不愛應酬、賦性比較耿介、見大人不會亢奮的文人辦報,肯定不會為此事而道歉;第二、練教授那篇文章,內容並無任何可以構成誹謗罪的紕漏,要吹毛求疵,文題或有商榷餘地,但這與應否道歉扯不上邊;第三、報社的回應,尤其是最後幾行,與前文闡述毫不連貫,顯得有點突兀卻很聰明,它為梁氏設計了一道無形台階,發信後知道麻煩更甚的「原告」,管它有形無形,趁機落台了事―從息事寧人角度看,那份勉強可稱不卑不亢的聲明,發揮了積極功能,讓報社管理層不必為法律纏訟煩惱而全神貫注於報務。文人辦報未必如此高明!

▼中国現代政治研究の中嶋嶺雄氏逝去。享年七十六。最初読んだのは『北京烈烈』(1981年)だつたのか『香港―移りゆく都市国家』(1985年)だつたのか……たぶん前者、だが中嶋嶺雄という「ずいぶん四角っぽい字の並んだ名前だ」と意識したのは後者か。社会主義革命に憧れ東京外大の中国語、清水幾太郎現代思想研究会に参加、文革毛沢東主義に決別して転向、その後の中国の近代化……と一つの時代の象徴。
▼映画評論家で小津や黒澤を西欧に積極的に紹介したドナルド=リチー先生逝去。享年八十八。喪主は俳優の水島文夫氏の由。大林宣彦らと結成した前衛映画団体の「フィルム・アンデパンダン」で監督として撮つたのが「猫と少年」(1966) 「五つの哲学的寓話」(1967) など。「猫と少年」を改めて見ると、この黒猫はリチー先生なのかしら。