富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

播磨屋の施助は如何にと菊の扶

農暦正月初四。五連休最終日。混雑するMTRの車内で屈み込んで「ヘンなオッサン」と思つたらiPhone5を「あんた、いったい何台買ったの?」の大陸からの水貨客。昼すぎに中環のジム。小一時間走る。連休ももはや他に何をすればいゝの?の快楽なる怠惰、FCCで午後遅く京都B氏、バーSご亭主招き晝酒。ビールとか白葡萄酒のソーダ割で始まりさく/\と赤葡萄酒二本。一服しに外に出ると「あかん、もう夜が明けてしもうた!」と錯覚の午後六時前。だいぶ日がのび太。まだ一寸キメが足りない、とジャックダニエルをダブルでぐび/\。お二人は尖沙咀に、余は帰宅して鶏肉と白菜で水炊き。
▼今日の東京新聞夕刊は出色。夕刊の看板連載「この道」はクレイジーキャッツ犬塚弘さんだが一面下部の定位置は「紙つぶて」で小西徳應・明大教授の「西高東低、天気は?」と、これが随筆記事の基本のキのやうな、朝日の天声人語、往年の疋田桂一郎氏(天声人語は1970〜73年)思はせるやうな贅肉なき名文。都新聞はネット版ないので無断掲載、ごめんなさい。で弐面に追ひやられた犬塚先生の「スーダラ節」の面白い。このコミックソング唄ふハメになった植木等氏は三重の浄土真宗のお寺の出で父・三木徹誠(若いときにキリスト教の洗礼受けている傑僧)に相談すると「“わかっちゃいるけどやめられない”という歌詞は親鸞の教えに通じてるぞ」(笑)で決心して歌つた由。それにしてもこの当時の演奏の宮山利之とニューハート・オーケストラが絶品。他にも記事は元朝労働党幹部・呉小元氏の「指導者の喫煙マナー」、瀬戸内寂聴高尼の「恋愛学校」は映画でヒロインは佐久間良子、親友役が大空真弓、「青鞜」名残のハイカラおばちゃまに東山千栄子加藤廣の連載小説「水軍遥かなり」も久鬼水軍で嘉隆の子、守隆が石田三成謁見の場の描写が見事、宮下規久朗「神は細部に宿る」の美術論も「チーズ」の話が面白く、社会面も東京港区高輪消防署二本榎出張所(写真右)の記事も面白い。これらのネタがグアムでの偶発的な気違ひによる無差別殺害事件(けして邦人殺害事件に非ず!)の無差別報道のなかで維持できてゐるのが凄い。
菊之助播磨屋四女と結婚(スポーツ報知)。アタシは勝手に菊之助は独身のまゝで後継の子なし、で梅幸名跡を継ぎ、寺島しのぶのフランス系の息子が八代目菊五郎か、と臆測してゐたが「この手があったか……」の音羽屋と播磨屋の組み合せ。菊之助は記事にある通り「結婚願望も薄く、独身を貫くのでは」派だつたが松竹的にはとにかく梨園少子化、お胤枯渇は深刻なわけで皇室よりも手段選ばぬ加茂。

播磨屋の施助は如何にと菊の扶

澤瀉屋の中車、團子というラインを見ても亀ちゃんとてリリーフなのか、とすら思へてしまふ。歌右衛門成駒屋羽左衛門の橘屋などいくつもお家絶滅の危機のなかで今回の音羽屋と播磨屋は銀行再編のような、かなり強引さを感じるが、これも致し方なし。歌舞伎俳優養成は細々と国がやってゐるが家系にとらはれずジャニーズ事務所のやうに松竹ジュニア育成でもしないかぎり将来的に歌舞伎など無くなつても不思議でない。
▼渋谷、旧東横デパート東横のれん街が4月に移転。昭和26年当時のこの写真、右から入船屋?、泉屋(クッキー)、花園万頭、?、?堂、ちとせ、小倉屋、玉木屋、文明堂、コロンバン、榮太樓、?、玉?堂、(神田)志乃多寿司?、凮月堂?……判読不能と思つたら香港大のN助教授が東急デパートのデータから拾つてくれて一番右は入船堂(入船屋は水戸の煎餅屋w)、泉屋、次が浜藤、で梅林堂、「ちとせ」から榮太樓まで読めた通りで次の菊が銀座の菊廼舎か、で玉英堂ね人形町の、なるほど、で神田の巻寿司屋で最後が清月堂。あの天井の低い東横のれん街の中に写真で文明堂が更に屋根を敷いて小屋造りなのがご立派、しかも麻布(といふか六本木)の文明堂なのですね。
▼橋下大阪市長の出自に関する佐野眞一の「週刊朝日」の記事打ち切りで佐野先生本人が出版社編集者らによるシンポジウムで「差別を助長する内容だった」と謝罪。週刊ポストでの連載でも参考とした資料の無断引用があつた点も事実上認め橋下の出自については「すでに(他の雑誌で)書かれている内容だからいいのではという安易の気持ちがあった」と。結局、ジャーナリズムの報道の自由表現の自由を壊しているのがジャーナリストご本人。情けないにも程がある。佐野眞一程度で「先生、先生」とするジャーナリズム業界も野暮だが。橋下への謝罪よりジャーナリズムを自ら壊した点で佐野先生は絶筆しても罪は償ひきれないだらう。