富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

到了杭州

fookpaktsuen2012-12-06

農暦十月二十三日。空港といふのはいつも不思議だが空港に着いて何ら差障りなく順調に登機手続き、通関と済ませ、さてラウンジで一寸ゆっくり、と思ふとそれなりに余裕もって自宅出たつもりがいつも小一時間もゆとりなし。KA620便で一路、杭州。じつは初めて、で、うき/\。杭州の空港から市街に向かふのに思想信条的には公共バスに乗りたいところだがミッションで荷物それなりに多く腰も調子が芳しからずタクシーで、と思ったら市街に向かふ高速道路で少し年季の入った大衆車で140kmで突っ走られ生きた心地せず。国際假日酒店(ホリデーイン杭州)に下榻。すでに太陽は西へと傾き慌てて旅荷を解き西湖へ。普通、観光名所は避けるほどだが西湖だけはやはり死ぬまでに一度は訪れたく。路線バスに乗る余裕もなくタクシーで西湖東畔へ。溢れんばかりの旅行者の群れか、と覚悟してゐたが漫ろ歩く人が二人、三人と静寂でちょうど夕暮れ。思はず言葉失ふ。この光景をどう嘆けばいゝのかしら。日暮れ。晩に杭州在住の知己T氏より招飲の約あり市街の京晉酒店だったか、にある紫櫻花なる日式料理屋。蘇州T氏ともうお一方。杭州で日式でこの程度のものが出るのだから、と感心。九月の島争ひのころはどの日本料理屋もかなり厳しい日々だったやうだが客も日本人も戻り地元客も何事もなかったかのやう。話してゐて慎太郎、晋三らの「日本に強さを」が予想以上に憂さ晴らし的に、溜飲下がる誤解?で「よく言った」と支持されてゐることを知る。で戦後は教育が日本をダメにした、教育をダメにしたのは日教組、といふどこのオジサンたちも同じ陳腐な発想には閉口するばかり。杭州にもつひに地下鉄が数日前開業。誰彼も路線などよく理解してをらず。確かに杭州地铁のHP(こちら)見てもよくわからず。客室の廊下のスピーカーから陳腐なクリスマスソング流れ迷惑。クラブラウンジの当直に苦情述べたら部屋に戻るまでに音楽止んでゐた。