富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

周恩来と池田大作の一期一会

fookpaktsuen2012-11-22

農暦十月九日。今日が小雪とはとても信じられぬ高温多湿。まるで四月上旬のやう。昼に尖沙咀はハーバーシティの富久保手打烏冬できつねうどん食べて汗だく。思はず街市で鵝牌(中国製)の肌着購ひ着替へ。昨日の葡萄酒三本に続きストレスからかしら何だか今日も購買欲強く自重/\と言ひ聞かせてゐたが、こんな日に限ってダンヒル商店で「これぞ探してゐたもの」と思へる旅行鞄と一期一会。機内持ち込み可の大きさでフタが上に開く、もと/\は善光寺の小太郎さん愛用のリモワのパイロットトローリー(こちら)に食指動き旅行中は気も緩まりバンコクで一瞬、買ひさうになったが材質と色がどうもアタシ好みにあらず。でこのダンヒルのはかなり黒に近いダークグレーの色と皮の誂へはダンヒルらいさで機能性も充分。何よりいち/\横に置かず「立てたまゝ開けられる」が前述のリモワとは多少、形態は違ふが条件に合致。でICCの118階から飛び降りるやうに大人買ひ。Z嬢のご機嫌伺ひでXTC Gelatoの生姜味のジェラート購ふ。晩に西園寺一晃周恩来池田大作の一期一会』(潮出版)読む。潮出版の池田先生モノ、と非学会員が色眼鏡で見て嫌ってしまふには勿体ない内容。あたし自身も戸田城聖の著作集は大学のころにA新聞のU記者に「城聖は面白いから」と勧められ読んで「なるほど」とその理想主義に感心したくらゐでアトは何も関心もないのだが、なぜこの本を読んだか、といへば北京でもう二十年近く昔のことだが米国人のR君に「創価学会の日本料理屋に連れて行ってあげようか」と交道口南大街から西に入る胡同の静かな住宅地に西洋館あり友好賓館といふ看板があったあったが「この建物は蒋介石の北京別邸」とR君は物知り顔で説明。その洋館の隣に見事な四合院建築があり、その一角が「白雲」といふ日本料理屋だった。創価学会がこの敷地を譲り受け友好施設として利用。今でも「白雲」があるのかどうかも知らぬが当時は北京飯店の「五人百姓」など高値すぎて「白雲」には北京に往くとZ嬢とも何度か訪れたもの。二度目に歩いて知ったのは、そこが後圓恩寺胡同で友好賓館の隣が茅盾故居だったこと。創価学会日中友好に熱心なのは知ってはゐたが実際にかうした施設を見て、その「地場力」に驚かされた。で周恩来池田大作の最初で最後の会見は一九七四年十二月。すでに二年前には角栄首相で日中国交回復が成されており池田大作訪中もこれは二度目(初回は同年五月、周恩来が抗癌手術で面会出来ず)……と聞くと「乗り遅れまひと慌てゝ」のやうだが一九六八年には創価学会池田大作の所謂「日中提言」あり当時、日本社会党とはまた別のチャンネルで創価学会公明党が日中国交回復に果たした役割あり。そのへんのことは知ってはゐたが、この本で蒋介石創価学会なるものを知ったのは一九六二年に訪中した高碕達之助親中派とはいへ自民党議員の立場ながら周恩来創価学会を「好意的に」紹介したことだといふし池田大作訪中実現も松村謙三の誘ひよるもので、このへんの自民党の動きは興味あるところ。どうれあれ末期癌で数ヶ月後に亡くなる周恩来が会見を望んだ池田大作先生は当時、四十六歳なり。この著者、西園寺一晃西園寺公望のひ孫で元朝日新聞記者。ゾルゲ事件連座し戦後は中共シンパの日本人として北京に旅居の公一を父に持ち文革期に北京大学に在学した一晃の『青春の北京 - 北京留学の十年』上梓が1971年。七十年代後半のBCLブームで北京放送の日本語放送に嵌ったあたしは文革も終はり周恩来、毛澤東と亡くなり四人組失脚のあと、この『青春の北京』読んだ記憶あり。いくら時代とはいへ一晃のあまりな中共文革礼讃に驚き「この人が記者?」と朝日新聞もずいぶんとハッピーな人を雇ってゐるものだ、と驚いたが一晃氏も文革の失敗、毛澤東の独裁など否定するけふ日。文革で中国離れ日本に戻った公一は創価学会に近づき一晃も父を襲ひ創価学会に好意的なのはそれはそれでよい。さすが公一が北京で周恩来と親しかったことで今の日本では一晃氏は貴重な存在。靖国のA級先般合祀の何が悪いのか、といへば中国は周恩来が「日本軍上層部の軍国主義者と一般国民を区別し国民には戦争責任も罪もない」としたのにA級先般合祀や日本の首相靖国公式参拝はさうした中国側の「配慮」を台無しにするからいけない、といふ一晃の主張、また郭沫若から直接聞いた話として

日中関係のあるべき姿とは、かつての日本の侵略について、中国側は「過去のことは水に流しましょう」と言い、日本側は「いや、私たちは再び過ちを犯さないため決して忘れません」という状態である。

を紹介し、現状は全く逆で侵略した日本側が過去のことを忘れ中国は忘れられぬ、と「不幸な転倒」が続いてゐる、と、これはその指摘の通り。この本は最後は当然、池田大作の偉業がどれだけのものか、と誉め池田思想が中国で評価され中国の目指す共産主義と「人間革命」の親和性とかに話が及び、創価学会でも戸田城聖はよく読んだが池田大作は全く読んでないあたしにはピンとこないが、それは人の好きずき、信心で、それはそれとして興味深い内容であることは確か。名誉会長ご自身が八十半ば、若いと思ってゐた西園寺一晃でももはや古稀。これから周恩来、寥承志、高碕達之助松村謙三宇都宮徳馬など知らぬ世代ばかりと思へば、日中友好の熱情も昔の話かしら。

しかもどせう首相の退陣とTPP参画反対表明とは……!
「周恩来と池田大作」の一期一会

「周恩来と池田大作」の一期一会