富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾蘋果

fookpaktsuen2012-10-17

農歴九月初三。朝イチで届いた新聞開くと蘋果日報が一面トップで肥黎社主が「我要回家了」で、つまり「壹傳媒の台湾撤退」と特ダネのスクープ!って蘋果日報は傘下か(笑)。少し涼しくなつたが乾燥して雨もなく市中煤塵甚だし。厭な喉痛。完ぺきに風邪をひく兆しあり。晩に残りものの赤葡萄酒飲んだが、まず味覚がをかしくなるから。うすい掛け布団かぶつて寝るが暑くて剥ぐから、きちんと寝間着をきることが大切、とわかつてゐても寝台でごろ/\本を読んでゐるうちに寝てしまひ夜中に悪寒、ではすでに遅い。
▼壹傳媒の台湾撤退について。天安門事件のあと中共に対する不信で衣料チェーンのジョルダーノで成功した肥黎が香港で『週刊壹』創刊。社主の巻頭随筆で「李鵬のバカ」と罵り当然のやうに内地では危険視扱ひされ香港返還前に蘋果日報創刊し民主、自由、反中共の徹底した理念で大成功。台湾社会の自由民主ぶりに共鳴し華文メディアの活路をば台湾に見出だし乗り込んだが蘋果日報の部数では成功したがテレビ業界進出は失敗。また香港も同じだがタブロイドの無料新聞「爽報」の発行はパンドラの函を開けたやうなもの。中国といふ巨大市場に参入できずメディアのデジタル化は収益先細りで厳しいところ。洪清田氏が翌十八日の信報で見事に言ひ当てゝゐるが*1

黎智英入台初時帶着「香港原色」,偏藍(思想和思維、意識和立場),以「蘋果」作風鼓吹兩岸大和解、大三通(據說買了不少房地產);但他與台灣最大的、最深層的文化衝突主要來自泛藍;金溥聰一進一出他的集團宣告他打進「台灣」的權力核心和社會核心已絕望,策略上漸漸輕輕染縠,搶年輕和中南部市場(最近一次總統選舉愈趨明顯),但跟「縠台灣」最深層的生活形態和文化命脈接不上線路,波段頻率不對。

と。つまり肥黎の立場といふのは台湾進出で中台の言論の橋渡しになる役目のやうなものだつたのだが三民主義的理念では国民党(藍)に近いポジションとれるはずが相容れず次第に緑(民進党)に近づく戦略となるが台湾出自のこれも台独支持とはなれず、さうした藍と緑のいずれにも与せぬジレンマ。それにしても台湾で築いた媒体の売却先が親中的な(って元々は大陸が出自の)辜氏財閥といふのは何とも。
シアヌーク前国王の逝去で北京で悲しみに耽る皇太后と息子のシハモニ様(国王)。やはり畏くも殿上人は民草とは「役者が違ふ」。殊にシハモニ様のこの狼狽へぶりが見事。これは誰にも真似出来るものではない。
▼沖縄で米兵二人が女性暴行。米兵の蛮行も呆れるが、かうした性的犯行は米兵に限らず何れにもあることで……と一瞬思つてしまつたが、考へるべきことは少なくても「米軍が沖縄にゐなければ「米兵による」かうした蛮行は防ぐことができること」。沖縄から性的蛮行をば犯す者を完ぺきに排除することは不可能だが米兵による犯罪、米軍による事故が防げるのなら、さうするべき。琉球新報の社説(こちら)が「安保を根本から見直せ」としてゐるのは、さうしたことなのだらう。
▼昨日の蘋果日報に旺角の鳳樓も不動産高騰で遂にHK$100/sqfで高級オフィスビル以上の高値、と報ず記事あり。鳳樓とは「一樓一鳳」で、つまり一間あたり淫売婦一人の、いはゆる「チョンの間」。かうしたチョンの間の並ぶビルが鳳樓。個人営業といつても黒社会も絡み、かうしたチョンの間への賃貸専門にする賃貸業主もをり事情は様々。この話題の鳳樓は旺角の建興大厦で実に130軒のチョンの間が此処で営業。此処と他に銅鑼灣の富士大厦、尖沙咀の香檳大厦を合はせ香港三大淫厦と呼ぶ由。狭い廊下の両側に本当に数坪のチョンの間並び人気あれば行列が出来、扉開けっ放しで「すぐでき〼」もあれば淫婦自ら妖艶なる客引きもあるといふ。

意外と、今回の秋のご参拝は「首相になつたら暫く参拝出来ませんので」だつたの加茂。でも亦た1年かしら。

*1:洪清田「黎智英與莫言的做「人」和成「國」」信報九月十八日:莫言是余華小說《活着》的真人版,他比余華、老舍、沈從文、巴金、魯迅和無名氏、張東蓀、雷震更懂得活着,但不是《活着》式的活着,而是「自活着」(與黎智英一樣)。因做好「被定義」的「中國人」而能做「自定義」的(幾種)「中國人」,甚而做「自定義」的「人」;因受黨政國的制約而能超越黨政國。