富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三栗の中に向へる曝井の

fookpaktsuen2012-05-29

農暦閏四月九日。朝、立ち寄ったコンビニで驚いたのは売られる朝刊部数の少なさ。売れ筋の蘋果や東方で五、六部。場所柄、信報や明報も売れそうだが数部。中共の左派紙など申し訳程度に一部ずつ置かれているだけ。これが午後なら大方売れたか、だが早朝七時で、これ。これほど新聞が売れぬ時代か。香港といへば新聞。数紙買い込み右派、左派の新聞読み比べ、の早茶。山口文憲だつて香港で新聞がなかつたらエッセイが何本書けなかつたことか。数多くの無料タブロイド新聞の配布には早朝から老人が長蛇の列。ニュースは携帯やiPadでちらり、と眺めて終はり。言論なき時代。連日、怒濤の如く予期してをらぬ仕事舞い込みあたふたと対処するうちに晩になり自分のしたい仕事は終はらぬどころか手もつけられず忸怩たる思ひ。早晩に強制終了で香港大学。美術館で“The role of HKU in local archaeology”と題して香港大学のアジア研究中心に1980年から関はる(港大の先生なのか、アタシは知らない)William Meacham氏の講演拝聴。歴史は多少好きだが考古学は小学生の時にクラブ活動で五島安文先生の引率で愛宕山古墳に連れて行つてもらひ、そのあと友だちとこの古墳に出かけてはシャベルで少し掘ると本当に土器の破片の類ひ出土して収集したことくらゐ。むしろ愛宕山古墳の傍に曝井と呼ばれる湧き水があり、そこが万葉集に!

三栗(みつくり)の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所(そこ)に妻もが

と詠まれてゐた、万葉集なんて自分とは遥か彼方と思つてゐたのに自分の住む地のこんな近くに万葉集があつたとは!と驚き小学生の心は飛鳥、天平の昔へに。で考古学は不勉強なのだが何となくこの講演気になつて。香港といふと前漢の古墓が1950年代に公共団地造成の現場から突如出土した李鄭屋くらゐしかよく知らぬが西貢とか離島には古代の石刻などあり。Meacham先生の話では都市開発の進む香港では考古学は古代からの居住地であつたShek Lap Kokは新空港建設が決まれば着工前に急ぎ遺跡調査を行ひ、澳門の路環島も古代の集落跡地がゴルフ場に造営され、とその連続だつた、と。面白い話は見せられた鏃(やじり)だかが、これは香港大学でかつて教鞭とられた○○教授が1974年に上環のキャットストリートで見つけたもので……ってそれってガラクタ骨董の中に混じつて路上で売られてゐたといふこと(笑)。帰宅して白胡椒味の肉骨茶。最後にそのスープで、いたゞきものの奈良は柏原雲梯(うなて)の「きたはら」さんの三輪素麺茹でて飰す。まぁ何としつかりした歯ごたへの素麺、驚くばかり。
▼「六四」慘案將近23周年,中共前政治局委員、北京市委書記陳希同在本港出版回憶錄,為自己在六四的責任卸責,稱自己當時只是一名「傀儡」,否認曾向鄧小平「謊報軍情」令鄧決定戒嚴,鄧沒被誤導。有內地學者指,六四慘案�手紛紛出書卸責,顯示他們擔心歷史名聲,不想揹着�鍋見閻王。(……と今朝の蘋果日報伝へるは)陳希同稱,他根本不知自己是北京戒嚴的總指揮,是看了網傳《李鵬日記》後才知道的。他又指,當年他以北京市長名義向全國人大做《關於制止動亂和平息反革命暴亂的情況報告》,自己並無參加討論,是上面交給他由他照本宣科。陳甚至稱「我當時的思想是不同意動亂(這個說法),但他堅稱六四事件「天安門廣場一個人沒死」。陳表示自己並無反對江澤民,更無向鄧小平寫信舉報江。他說:「在權力鬥爭中,為了奪取權力,任何手段包括低級手段都可能被利用。」他稱自己並無貪污,被整是因他不喜歡搞私人關係,他受到不公平審訊。他指前不久發生的重慶事件,落馬的中共政治局委員薄熙來的遭遇,跟他當年經歷十分相似,是中央權力鬥爭的結果。陳堅稱自己「無罪」。陳還爆料指,李錫銘曾說過「江澤民是政治投機分子」。
▼尊尼事務所所属の偶像組合、平成跳躍が先の週末来港で公演。それはどうでもいゝが尊尼喜多川社長も同行の由。今年卒寿。中国で偶像組合発掘も視野に、ださうだが喜多川社長見かけた某女子の話ではオーラがなく枯れた感じ、と。写真で見るかぎり昔からぎら/\した感じはない方なのかしら。