富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台北二日目

fookpaktsuen2012-02-24

農暦二月三日。蔡明亮の映画のやうな雨で台北二日目。朝九時に母の御一行八名様でホテルからMRTの中山站まで歩く。中山北路と南京路の交差点に立つと(邱)永漢国際書局はすでに閉業してゐるがこの書店と永漢日語の看板見上げると何十年も前から何も変はつてゐないやう。勿論、鉄道の線路が台北の市街を二つに隔てゝゐたが線路が地下に走り線路のない駅舎は巨大な金日成式の宮殿建築のやうに聳へ、白先勇の物語持ち出す迄もなく悪所としての圓環もなくなつたが、何処か昔からの(かういつては失礼だが)憂鬱な感じの台北の市街の風情はそのまゝ。MRTで台大医大。新公園(今では二二八和平公園と呼ばれるが)もすつかり美化され昔の淫靡さがないのは日比谷公園と同じ。二二八記念館(旧台北放送局舎)見学しようとしたら二二八の三日前で要人参加で何か記念式典あるらしく招待者のみ、で警察が厳重な警戒。それでも昔のやうに追ひ払はれるやうなことなく記念館の入り口で警察に尋ねると「すみません、ご不便おかけして」といふ丁重さ。公園抜け総督府へ。こゝも昔なら(ってアタシが初めて台湾訪れたときは蒋経国の時代だが)総督府に一歩近づくだけで警備の軍人にかなり注意受けたが今では総督府も一部見学ができるさうで初めてご見学。日本人がある程度の数集ると日本語で説明するボランティアが連れて歩く。総督府といつても台湾史や総督府にまつわる歴史、歴代総統の略史の資料展示館で総督府の仕事の一部が見られるわけではない。たゞ見学コースから扉一枚隔てて総督府のサーバーなどあるIT管理部あり外部の業者なのかメンテナンスだかしてゐたが、総督府ともなると情報漏洩などないやうに衛兵が一人部屋に張り付き作業監視してゐるのが見学コースとなつてゐる中庭の回廊に面した扉が開けつ放しになつてゐたので内部窺はれた。勿論、アタシに眺められてゐて慌てて扉閉めたが、いずれにせよ今の時代では組織の最も中枢に当たるはずのサーバーやIT設備がとても緩い場所にあつたのは驚き。で、ボランティアによる説明なのだが、きつと「かったるい」だらうと高を括つてゐたら日本語での説明員が日本語こそ辿々しいが、台湾ばかりか日本や欧州の歴史にかなり詳しく、しかも台東の出身らしく典型的な内省人で戦後の蒋介石当地ばかりか馬英九の現政権も……まぁ綴るのはこれくらゐにしておくが興味深いもの。地元の市民、田舎の老人会のやうな団体、それなりの数の日本人に、それぞれ国語、台語、日本語で懇切丁寧に説明してゐたら、とても効率悪さうだが興味深いのは一般的な市民、台語の年寄りたち、日本人にそれぞれ解説するポイントが異なり3つのグループが被らない。日本人だと当然のやうに五十年統治での社会インフラの整備、蒋介石の台湾入り(二二八に触れない)、そして何よりも李登輝の時代がクローズアップされる。歴代総統では阿扁の展示もあるのだが阿扁総統については3つのグループとも微妙に「見て見ぬふり」をする。ちなみに此処には阿扁総統就任式での防弾!背広の展示あり。選挙戦では銃撃された(させられた?か……嗤)が総統就任式で狙撃されるか?彼が……。馬英九の現政権は40分くらゐといはれてゐた説明が一時間になり最後に「時間なし」で端折られる。母たちの一団はみんな戦前生まれなのでガイドのかなり緻密な説明も常識のやうに応へるからガイドの説明にも俄然、話が深みに入る。素晴らしい。アタシはかうした演者と聴き手の関係が素晴らしいと思ふ。この「総督府」に使はれた石材が何処の、屋根のドームが云々といふ話はアタシなど着いて行けず。でアタシらの日本語グループには大学生くらゐの若い人もゐたが蒋介石どころか李登輝だつて知らない世代だからガイドと、このオトーサンたちが何を話してゐるか、は珍紛漢紛のはず。霧社事件といはれて「あゝ、霧社でねぇ……」といふのは、アタシを最年少にもう年寄りばかり。中正記念堂から午後は北投温泉に行く予定のオトーサンたちと別れ母たち女子部のお三方連れて雨のなか西門。光華商場のなくなつた中華路のやたらな幅。一度の信号青で渡りきるのも大変。雨宿りのやうに西門の紅樓に入る。中に紅樓と西門の歴史紹介展示あり。この戦前のレンガづくりの八角堂市場が見事に西門のシンボルとして復活し、さらにその一帯がまるでリバティ、自由解放区のごとく、それも而も虹色の旗が目立つゲイテイストなエリアになるとは誰が想像したかしら。都市のなかにさうしたあれこれと「味はひ」があるのは、まるで紐育のやう(ほめ過ぎか)。異常に高騰した地価でさうした地域性も保てぬのが香港なのだが。西門の北平一條龍餃子館で早めの昼食。昨晩の鼎泰豊よりアタシにはこの食肆のほうが美味。雨が上がる。MRTで龍山寺。こゝも艋舺に続く一帯が整備され何だかヘンな感じ。龍山寺参拝。ちゃんと境内に映画「艋舺」に出てきそうな鯔背な若者数名が参拝なのか徘徊なのか、とにかく「いるから」。まだ足按摩しか開いてゐない華西街漫ろ歩く。午後もまだ早く「さて、どうしませう」といふことになりMRT乗り継ぎ動物園まで行きロープーウェイで「猫空」へ。マオコンといふ閩南語の地名に猫と空当てただけで、マオコンはこの一帯の渓流の岩に独特の窩あり、それの意の由。動物園の高架站下ると猫空まで上がるロープーウェイ站までは歩いて十分近くの距離あり。どうせならもつとMRTとロープーウェイを近づければ、と思うが観光客当て込んだ娯楽施設がその間にあり見事に当てが外れ開設数年でもう廃墟。ロープーウェイは伊豆下田くらゐのを想像していたが桁外れの規模。距離にして4km、途中、二度「掛替へ」あり高さで450mほど上るが山あり谷あり。これでNT$50はかなりの乗り応へ。で猫空。台北市内から3、40分でこの自然。気温も数度低い。霧のなかに茶畑広がり台北の平地見下ろしながら茶畑に点在する茶屋で野点。お茶請け。四方山話。ロープーウェイで山を下る。皆さんまだパンダ見たことがない、と動物園でパンダ見る話もあつたが朝から歩き続けで動物園は抜きでホテルに戻り晩までの休憩。アタシは平日なのでいくつか懸案ありメール仕事。雨は霧雨となる。晩は皆さんで中山路の天厨菜館に飰す。香港だと鹿鳴春など北京ダック頼むと「これぞ」とばかりに最初に供され空腹でこれをパクリとするから美味さも増すが、今晩は残念ながら注文したものを順番も考慮されず次々と供され(これを解決するには鏞記のやうなよつぽどの食肆でないかぎり)やはり順番で少しずつ注文するしかないのかしら。で北京ダック出て来たころにはそれなりにお腹もふくれ、さうなるとせつかくの名物料理も美味くない。また北京ダックで大切なのは鴨の皮の質より実は鴨や薬味を巻く「皮」なのだ、と思ふ。この「皮」が重かつたり蒸してだいぶたつたものが冷たくなつて供されると興ざめ。食後に母たち数名だけ南京西路の新光三越にお連れして食料品売場でお土産お買ひ物。晩遅く昨日に続き林森北路のネオン街の、そこから今晩はかなり東に外れた場末のバーSに独酌。口開けの客だつたが台北らしい親睦で独酌も台啤の酌み交はしとなり深酒。それにしても芸達者、話芸も見事な客少なからず拙い国語で末席を汚す。広東語苦手なアタシもさすがに国語に無意識に広東語の表現が陳出するやうだ。
中村雀右衛門逝去。京屋についてはアタシなどが語るより何より村上湛君のこのディスクールこちら)をば読んでいたゞければ。アタシらにとつてはポスト大成駒で、役者は体力が大切と「ジムで筋力トレする女形」は「ジャッキー」の愛称で親しんでゐた。