富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

談志が死んだ、とブラック師匠

fookpaktsuen2011-12-29

農暦十二月初五。晴。来年度予算折衝年末の、攻防といふような緊迫したムードではないが中環の某高層オフィスビルのヴィクトリアハーバーも見事な眺望の会議室で財務担当者と作戦会議。明日中にこゝまではまとめませうか、でまだ休めず。FCCハイボール二杯やつて帰宅。夕食のあとブラタモリ荒川放水路の続き眺める。柴又って考へてみたら未訪。地理的には都心から遠くないのが京成線の微妙な位置。金町から、と思へば一駅なのだが。……なんて日記を今日も綴つてゐて古典劇評論の畏友村上湛君がHP開設一周年で多忙さながらサボつてゐる日記(好雪録)のなかで久々の記述で日記を綴ろうと思つても「今日、野田岩で鰻重を食べました。おいしかった♡」みたいな、さういふ内容ならお披露目したくないといふたことを書かれてゐて「さうよね」と思ひつゝアタシの日記などほとんど「「今日、野田岩で鰻重を食べました」でないか、と自省モードになりかけたのだが荷風散人とて「銀座に往き富士アイスに飰す」なので日記は綴り続ければ立派、と勝手に解釈することにしたが肝心な湛君のその記述が失せてしまつてゐた。で一昨日から三日続けて記述が……ご多忙は承知、正月三が日も迎へる前に三日坊主になりませぬやうに。で、さすが畏友村上君が書くと「楽しんご」でも面白い(こちら)。私はこの芸人?の名だけは「楽しい」に名の「しんご」を掛け「たのしんご」と読ませるのか?と思つたが「橋下」はどうしても今でも「はしした」と呼んでしまふ。週刊誌の記事によるともと/\「はしした」だつたのを本人が「橋の下」嫌ひ「はしもと」と詠ませた、とあり。村上君曰く

私にしてみれば、普通そうは読めない「橋下=ハシモト」と当たり前の如く擦り込まれると同時に、根拠なき親近感を抱き、奇怪・危険極まりない彼の言動を無反省に支持している人々が沢山いることのほうがよほど恐ろしく、同時代人として恥ずかしいのである。

と。同時代人として彼のやうな人がゐることがアタシは嬉しい。晩に週刊金曜日のバックナンバー読む。
▼「談志が死んだ」と知つたとき(十一月廿三日)アタシが最初に思つたのはブラック師匠の日記が読みたい!だつた。だがブラック師匠の日記(出直しブログ、こちら)は上品だから一ヶ月のタイムラグあつての上網。田中康夫ペログリ日記が「噂の真相」誌で、あの二ヶ月近いタイムラグがあるのも良かつたわけでアタシのやうに昨日分が今日上網ってのは下品の極み。でブラック師匠の日記をじーっと「談志が死んだ」が出るのを待つてゐたのである。二十三日の死亡発表の日は知己の記者から訃報知らされ、さらり。で翌々日(二十五日)が良い。勘三郎の平成浅草座で芝居見物の師匠

昼の部は前から2列目、近過ぎて恥ずかしい。「角力場」は勘太郎が放駒と与五郎の二役で大活躍、勘三郎の「お祭り」で後ろを開けるとスカイツリーが目の前に、いいロケーションだ。仁左衛門の「義経千本桜・知盛篇」はさすがの迫力。終演後はマドンナとしばし別れ、隅田川を渡って長命寺の桜餅を食べて桜橋を渡って戻ろうとすると勘三郎とバッタリ、客席のあっしを見て家元を想い出しジーンとなったそうだ。しばし家元の想い出話の後、夜の部へ、「猿若江戸の初櫓」は勘三郎襲名の序幕でやった芝居で、七之助が暴行事件を起して出られなかったやつの再演、ラストで後ろを開けスカイツリーを見せる。次は仁左衛門勘三郎の大顔合わせで見せる「沼津」、今月一番の演目。最後は七之助の「弁天娘女男白浪」、勘太郎の南郷が強請を終えて引っ込むときの捨てゼリフで「これから快楽亭と一杯やろうぜ」と言ったのに一人で受ける。

と粋だねぇ、師匠。でほんとに芝居が跳ねたあと勘太郎七之助兄弟を出待ちしてタクシーで肉のすずきへ、だといふから。以降、新宿ミュージックテイト主催の毒演会で一席目に「家元の死を祝して「談志が死んだ」」(二十七日)。上野で川柳師匠と逢ふと家元の死の報道に「あれじゃあまるで談志さんがいい人みてえじゃねえか」といふ川柳師に「その通り、ヒールだった家元がベビーフェイス扱いは当人にとっても面白くないだろう。あっしが立川談志の正体を世間に知らせてやろう」とブラック師匠(二十八日)。前回の「テイト寄席の「談志が死んだ」は「立川談志の正体」の焼き直しだったとぼやいていたお客さんが多かったというので、今日はあまり人前で話していない家元ネタで「談志が死んだ」」再演(十二月二日)。で五日に「家元の夢を見た。じっくり語り合った。」と一行。ブラック師匠は家元にとつても一番可愛い弟子だつたのではないかしら。
▼どぜう内閣が消費税増税。反対で脱党者が出ても、の姿勢に朝日が「展望なき攻め」と見出しにしてゐたが小泉の「聖域なき構造改革」のパロディで、どぜう首相のキャッチフレーズに「展望なき攻め」ってどうかしら。消費増税を柱とする一体改革の実現が「政治家としての集大成」とどぜう首相。集大成ってのは何かそれなりにやつてゐる人が最後の総仕上げに使ふ言葉。何もしていないのに「集大成」なんて……さすが松下政経塾出。松下といへば「つくる会」系教科書採択派の石垣市長中山某。毎朝、市役所で職員が当番で松下幸之助の言葉を読む日課を強制。職員ばかりか来庁の市民も聞かされる由。尖閣諸島に上陸して一人で幸之助さんの言葉読んでゐればいゝのに。
文科相が学力調査で家計状況まで把握(朝日)。格差解消に活用計画だといふ。習い事をしているか?、自分の学習机が家にあるか?なんて調べて何になるのかしら。家計が苦しい=低学力か。貧乏だと優良な教育環境に恵まれないのは当然なのであつて(=勉強ができる、できないとは別に)貧困世帯の子でも充分に学べる公教育の場を充実させる必要性だけ。文部官僚に「自分が常識的だと思うか?」 とか「社会に自分の居場所があるか? 」とか調査したほうがマシではないかしら。