富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

石川九楊大人の護憲

fookpaktsuen2011-12-13

農暦十一月十九日。晴。
文藝春秋新年号。雑感。「橋下徹首相という悪夢」(松原隆一郎・社会経済学・東大)や清武英利独占手記……文春読みアタシが共感する時代になるなんて。アタシの保守化でなく橋下であれナベツネであれ独裁嫌ふこと。特集「日本はどこで間違えたか」で石原、曽野綾子中西輝政なんて文春常連はいゝとして興味深いのは書家の石川九楊先生。

原発が問題である以上、今回の復旧・復興は関東大震災や神戸大震災モデルでは実現できない。広島、長崎、沖縄、そして大都市が焼土と化した先の敗戦と復興をこそ手本とすべきだろう。戦後、目を瞠るほど急ピッチで復興した理由について、我々はあまり深く考えてこなかったのではないか。その故は、この国の人々が心置きなく復興へと専念したからである。なぜそれが可能になったか。「戦争は二度とごめんだ」という意識を明文化し、合言葉としたからである。曰く「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し……」。言うまでもなく日本国憲法前文である。(略)これに倣って今、「原発は永久にこれを廃棄する」と全世界に向けてはっきりと宣言することができれば、青年、子供達、子をもつ親達は不安神経症を脱し、また、電力会社、経産省、研究機関は不確実に不確実を積み上げる確信のもてない計画から解放され、共に希望をもって未来へ踏み出すことができよう。(略、廃炉技術や新エネルギー大国として世界に貢献は非現実的、といわれるかもしれないが)「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(9条)と、国家が国家として当然に保有する(とされている)権利すら無謀にもかなぐり捨てたがゆえに、「戦争は二度とごめんだ」の合言葉が人々の胸に刻み込まれ、復興に向けての最大の呪文となったのではないか。(原発が東京にあったらどうなっていたか、極東軍事裁判で戦犯を明確したように今回の核禍の犯罪人や原発推進者を具体的に特定、断罪!し公職から追放するなどし、逆に反原発で不利益を被った人たちの地位名誉恢復をはかるべき、という主張のあと)泥土を這い回る汚濁まみれの歯切れの悪い言葉の氾濫の中、この国では、今日も九十人近くの人々が将来に絶望して自らの生命を絶っている。今は、未来に向けての理想と希望に溢れた青空のような澄んだ文体が必要なのではないだろうか。

と。心を洗はれるやうな書家大人のこの言葉。それに対して石原は無条件降伏と占領政策からの「克服は、自主憲法の作成と既存の教育の破壊的改革」なんですって。「支配者への安易な依存を未だに続けるならば、収奪されつくした末に我々はまた他の新しい支配者に従属しその支配を受けることにもなりかねない」と。支配者とは石原のような強力なリーダーで「また他の新しい支配者」は橋下だらうに。これは真っ平ご免なのに。
▼大阪ダブル選挙についていろ/\な言説があつたが今日の朝日(わたしの紙面批評)で村上憲郎氏(グーグル日本法人の前トップ)があの選挙の誤謬は、それを「独裁vs反独裁」といふ対立軸で見たことで、反橋下派が見誤つたのは「独裁=悪」という旧い常識で、ネット言論など「独裁による改革=良」で実の対立軸は「新vs旧」で、もしかすると「今のままではない何かvs今のまま」であり既成政党が反橋下でまとまつたことは「今のまま」派で、今のままではない何かに期待する大衆の不満を吸い上げたのは橋下。この大衆の不満がファシズムに転化した歴史、ネット言論の危うさなどもあり。ことに若い世代に橋下支持が強く、そのあたりを新聞は注意すべきであり「あれが嚆矢であった」と将来いはれるやうな事態をきちんと検証すべき、と。確かに。だが橋下支持の世代って新聞読まないだらう、きっと。この感覚でもあたしは自分がすつかり保守であることに気づく。

文藝春秋 2012年 01月号 [雑誌]

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