富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大阪の始まり、日本の終わり

fookpaktsuen2011-11-27

十一月廿七日(日)晴。ユニセフのチャリティーランあり朝六時に陋宅を出てMTRで香港鼠楽園へ。すでにハーフマラソン、10kmの精鋭班は出発済みでアタシは七時半の10km組の第一班。そのあと更に二班と3kmの親子ランだかもあり。香港鼠楽園の駐車場は(どうせ広大な無用の駐車場なのだが)かなりの人ごみ。先週の10kmでそれなりに走れたことでアタシは今回、久々に10kmで一時間つまり6min/kmといふ普通のランナーにはかなりのLSD=アタシには全速力に望もうとしたが出場者多くハーフとの合流あり、精鋭に出た勘違ひスローランナー、後続班の先頭組などかなり入り乱れ鼠楽園の周囲の道路や敷地内など一筆書きのやうに走るので芋を洗うやうななか前に進むどころか走る位置取りすら難あり。で目標の60分より数分遅れてゴール。用意したはずの着替えの下着持参し忘れお漏らし君のやうに中環に戻る。まだ朝の九時半だといふのに困つたことに蘋果商店がすでに店開きしてゐて、ふら/\と入りiPod Nanoのランニング用の腕輪をば購入。Bossiniなる衣料チェーンで下着購ひジムでシャワー&着替へ。早晩まで休日ながらご執務。バーのハッピーアワーで麦酒飲み帰宅。豚汁と炊き込みご飯の夕食。台湾で映画の金馬賞の発表ありYoutubeで「賽徳克巴莱」に主演の三人が出た台湾の芸能番組のインタビューを眺める。
▼大阪の市長、府知事選挙で橋下の大阪維新の会が完勝。もうお終ひ。といふかやはり日本には民主主義とか国民主権といつたものが戦後どれだけ根づいたのか、と今更ながらに思ふ。結局のところ石原、橋下といつた強権型政治家への「全権委任」という行動様式。小泉改革がいかに改革の茶番であつたかも結果論としてでも理解できぬのは結局のところ民度の低さ。やはり市民革命もへずに「日本人の素晴らしさ」で似非でも近代国家らしく見せて先進国になつたことのツケがこヽに。もうどうしようもないだらう。
▼日本がダメだから、の選択肢ではないが香港特別行政区の旅券が取れるかどうか……国籍と旅券の微妙な問題はこヽでの検討は省くが、香港政府の旅券発給の条件は

是中國公民;a Chinese citizen;
是香港特別行政區永久性居民;a permanent resident of the HKSAR; and
及持有有效的香港永久性居民身份證。a holder of a valid Hong Kong permanent identity card.

で中国の公民でないことで最初から無理。「中国の公民」といふ言ひ方はわかるが“Chinese citizen”といふと、どうも漢人をば想像してしまつて表現が正しくないやうに見えてしまふ。
▼陶傑氏が独逸人の学生相手に説く(数日前の蘋果、向絀國人講魯迅)は宿命的な遺伝。中国に何故、民主、自由、人権が根付かないのか?と問ひかける学生に陶傑先生曰く「遺伝のやうなもの」と。中国に西欧的な近代思想が欠如するのと同様に独逸人が竹を組んで棚が作れるか?と質す。そこで挙げるのが魯迅の華蓋集?でせうね、これ。

暴君的專制,使人們變成冷嘲;愚民的專制,使人們變成死相。大家漸漸死下去,而自己反以為衞道有效,這才漸近於正經的活人。世上如果還有真要活下去的人們,就先該敢說、敢笑、敢哭、敢怒、敢駡、敢打,在這個可詛咒的地方,擊退了可詛咒的時代。

魯迅、またじっくりと読み返したい。

浜口竜介監督のこの映画は韓国映画なのかしら。日韓映画だらう。