富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-11-12

十一月十二日(土)快晴。外を走ろうか、と思へど机上に諸件溜まり机に一旦凭れば昼に至る。昼に札幌円山動物園支援の白クマ塩ラーメン食す。午後遅く出街。Z嬢と天后。エプソン代理の修理センターでEpson RD1sの点検修理を請ふ。今朝、あまりに秋の空が晴れ、このカメラで陋宅の窓からの眺望をば撮影したところ画像に老人斑のようなシミいくつかあり。レンズ交換してみたが同じシミありカメラ本体のセンサーに、かしら(絶望的?)。King's Rdが土曜夕方には珍しい渋滞で地下鉄で金鐘。あとで気づいたが香港版レインボーマーチ(同志大遊行)が銅鑼湾から湾仔だかまである由。金鐘から路線バスで香港大学。アタシは開幕式にお招きいたヾいた“Early Hong Kong Travel (1880-1939)”をばZ嬢見てゐなかつたもの。燈刻に香港大学から西営盤の高街、地下鉄駅工事現場と化したジョージ五世公園から、医院街、卜公公園に漫歩。鄙びた旧街であつたこの周辺も今では画廊や落ち着いたカフェなど点在。中環の裏町に葡萄酒屋は石を投げれば当たるほど点在するがウヰスキーとリキュール専門の店がぽつんと佇んでゐる。冷やかしのつもりがDolinのベルモット売つてゐて仕入れ。地下になか/\なバーあることも知り是非、次回。昔、恵比寿とかにあつたよね、といふ秘密結社の如し。 珈琲豆購はうと往つたOlympia Graeco Egyptian Coffeeで若旦那と雑談するにジタンとゴロワーズの古い雑誌広告あり「黒煙草のじつに風味が良かつたこと」と二十年前は尖沙咀の福和煙草(Mody Rd)で一時、ゴロワーズは売つてゐた、なんて昔語りするに、この輸入商がGraeco Egyptian Tabacco(華人行)で、煙草と珈琲豆など扱つたこの会社が商ひ閉めるにあたり従業員の一人が珈琲の販売権をば譲り受け、それがこの珈琲豆屋の先代。晩にFCCで京都B夫妻招き大閘蟹宴。顔見知りの給仕が「美味い紹興酒、用意してあるんでげすよ」と。食後に階下のバーでウヰスキー飲み三更になるかならぬか、に帰宅。
▼アタシがかねがね気になるのが何故に香港のヴィクトリアピークで日本の総領事公邸が最も高い場所にあるのか、といふこと。標高=ステータスの香港で日本の総領事公邸(Haystack, 19 Mount Austin Rd)が政務司公邸(行政長官=かつての香港総督府は中環)や米国総領事、それに1997年以降の英国総領事より崇高なのかしら。一つは英日の王室=皇室関係あり東京の英国大使館が半蔵門のお堀端の一等地で日本大使館も倫敦のピカデリーで最優国対応。それに準じてなのかしら、と思ふが英国にとつては香港は日本に占領され、の不愉快な歴史あり戦後のサンフランシスコ平和条約後でも香港に君臨するかの如き、この一等地を与へたこと特筆に値す。またこのことが気になつたのは今日、香港大学の展示で戦前(1920年代)の山頂地図眺めてゐたら、その当時はまだHaystackは私邸(1980年頃にMr. Antonの私邸として建立)なのだが、このさらに上、現在の山頂公園に当時はMountain Lodgeあり。これは総督の避暑用の別邸。頂上近くにこの総督別邸があれば眼下に他国総領事公邸据へることも吝かにあらず。だがこの別邸は前後すぐに(新界粉嶺に総督別邸造ること前提に)取り壊され跡形もなし。となると戦後、日本の総領事にこのHaystack供与したことは本当に特別待遇。当然、米国がどれだけ大国だらうと共和制であるから英国的には見れば低い地位だが。