富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

戦後の知

fookpaktsuen2011-11-10

十一月十日(木)曇。寒波。蘋果日報が一面トップで「公廁牛雜檔」と報ずるは西湾河太安樓のアタシが好きな基記水電工程の牛雑で食材をばこの老朽商場の、こともあらうに公衆便所内にある荷物置場に貯蔵、と。あらゝ……。電球や電池、シャワーのノズルなど賣る半坪ほどの町の電気屋が小遣ひ稼ぎに店の傍らで始めた牛雑が美味と評判となり行列が出来るほど。まぁかうした立ち食ひの小汚さは客も承知だが、あの公衆便所に、と思ふと、こりゃお終ひか。それにしても報道の写真ではこの店主かなりの悪相に映るが実はかなり誠実で寡黙に働く御仁。マスコミの写真一枚でも怖いもの。早晩に帰宅してジムに往き5kmほどトレッドミルで走る。今日は走り乍らモニタで庭球の試合を眺めてゐたアタシ。晩に「おでん」食す。いはゆる関西風といふか薄口のおでん食したのは四半世紀も前に東都は恵比寿の和亭といふ小料理屋でだつたが今では陋宅のおでんはほぼ出汁にほんの香りづけのむらさきだけ。子どものころに祖母に連れていかれた銀座のお多幸のおでんは何年前だつたか再訪してアタシにはとても食べられない濃い口だつたが今では普通の関西風のおでんでも塩辛いと思ふだらう。文藝春秋十二月号読む。天下の文春が「ナニワの独裁者か 真の改革者か、橋下徹 黒い報告書」なんて反論しても大阪の阿呆革命の流れは誰も止めらないのかしら。目玉の記事は「没後二十年目 衝撃の全文公開 尾崎豊の遺書」。確かに

生とは死を知り、生を葬ることである。
生に善意はあれど、死を感ずるところ、
ただ失意のごとく死に向かい、
今ひとり人の群棲を歩き、痛み、ただ雨の如し。
思い浮かぶまだ浅き月日をも、
人の言う己を語り尽くすには足ず。
最果てはすべてを許したいけれど、
その余りいまなお生きる我に痛みの雨ぞ降りて祈り

なんて、さすが尾崎豊、と思はせるが遺書を作品にしちゃいけないし冷静に考へれば「覚醒剤でボロ/\になつた一人のミュージシャン」と思ふと文藝春秋で取り上げるほどなのかしら。神格化のし過ぎ。邱永漢、この人はアタシは大機嫌ひなのだが「素人が株を買うのはおやめなさい」ですって(嗤)。素人に投資を勧めて自分が儲けたのは何処の誰か(もちろん邱永漢は「私は株の投資のリスクは承知で株ばかりは勧めてゐない」と仰るのだらうけど)。
▼戦後日本の「知の巨人」吉本某がオークラ出版(笑)のタモガミ某なども書く雑誌「撃論」で持論語る、と築地のH君に教へられる。

技術的な観点からいいますと、原発は、人類がエネルギー問題を解決するために考えに考えて発達させてきた科学的な成果、問題解決の仕方の一つ。それをいきなり元に戻せという考え方は、人間の進歩性、学問の進歩の否定になります。 ……とか
原発を今のレベルに到達させるまで、人類は非常に困難な努力を必要としてきたにもかかわらず、一度の事故でこれを放棄しようと考えるのは、安易に過ぎるのではないでしょう。 ……とか
「その時代の最高の知性が考え、実用化した技術がある。それを単に少しの失敗があったからといってすぐに止めるというには、近代技術、もっといえば進歩を大事にしていく近代の考え方そのものの否定です。もし、どうしてもそうした近代の考え方が合わないなら、頭で考えることは全部やめにして、耕したり植えたり魚を獲ったりという、前近代的生活にもどらざるをえません。 ……とか
太陽の光や熱は核融合から出てきているわけです。だから、僕は核の力は基本的なものであって、そんなに嫌がるものではない。ちゃんと制御できて使いこなせている限り、どんどん活用すべきものです。日本人の原子力に対するアレルギーは異常です。宇宙を動かすのは核の力だということは、技術系の人なら分かっていて当然のことなのです。 ……とか

と知の巨人、知の廃人、廃人か?は語る、語る由。編集後記に「左右の知の巨人が一致して『脱原発』を攻撃するという奇な偶然」とか書かれてゐるさうで「右」のほうの「巨人」といふのが中川八洋……ヨシモトリューメイが「この半世紀の言論生活の到達点が「左の中川八洋」だとしたらイタ過ぎる」とH君。御意。またヨシモト先生、実は耳は遠く同じ話を何度も繰り返し、まともに聞けるレベルでない、といふジャーナリスト情報もあり。とするとこのヨシモトコメントもどこまでが真意か、の信憑性も問はれるところもあり。