富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

長安城中の少年

fookpaktsuen2011-10-21

十月廿一日(金)晴。早晩にFCCで独酌。Z嬢来てラウンジで軽く夕食。独逸麦酒節の時期にて独逸料理あり。市大会堂。HK Chopin Society主催の香港国際ピアノコンクール開催中で昨夕第一次予選の審査結果発表ありKJ君も通過(明日が二次だがこれも所用で聴けず)で今晩は審査員のピアニストたちによるギャラコンサートの初回。パスカル=ロジェとCristina Ortizの二人。ロジェ先生はAlvoro Pierri(この方もこのコンサート常連)のギターと合わせAstor PiazzollaのLe Grando Tangoから始めドビッシーのプレリュードから数曲はいつもながらさすがの素敵な世界。Alvoro Pierriと復た合奏でドビッシーのチェロソナタ。中入り後はCristina OrtizがHeitor Villa-LobosとFructuoso Viannaといふ前世紀のブラジルのクラシックのピアノ曲を並べる。Heitor Villa-Lobosの方はかなり有名だがいずれも初めて聴く曲ばかり。舞台上に4台並ぶスタンヱイのピアノのうち今晩は深紅のスタンヱイ使はれる。後者には似合つたがロジェ先生の殊にドビッシーのプレリュードにはこの深紅のピアノの音は固すぎたと思ふ。東洋文庫長安城中の少年」読了。王独清(1898〜1940)は五四運動から1920年代にかけての若き詩人。長安の旧家に生まれたこの秀才が生い立ちからまさに辛亥革命前夜、十七、八歳で地元の学校をば放逐されるまでを回顧。二十世紀前半の辛亥革命に至る時期のことは些か食傷気味だが、この書籍で面白いのは「硬派」に関する記述。飛び級ゆゑ年の若い独清が年上の学生に何かと誘惑され「叫好」や「題壁」に悩まされる。後者が「誰彼は男前」「誰彼は女形」などと黒板などにチークで書立てることなのはわかり易いが「叫好」は独清は「がんらい舞台の下の観客が役者の誰それをもちあげる喝采様式の一つ」と説明する、つまり「待ってました〜!」「すてき〜!」のやうな掛声。抵抗しなければ襲はれさうなセクハラに悩まされた独清は教師にそれを訴へるのだが教師は「同級生が一緒に巫山戯るくらゐ大したことぢゃない」と言ひ、むしろこんなことで騒ぎ立てるなと叱る。その教師たちが当時の若い教師はほとんどが日本の留学帰り(西北大学の教員は大抵が東京で明治大学の速成科で法政学んだ留学生、との記述あり)と。つまり日本への留学生が日本の旧制高校から「硬派」の風潮をば中国に持ち帰つたといふことか。ちなみに「叫好」といふ語に訳者(田中謙二、1965年)は「ぞめき」といふルビを当ててゐる。さすが近江生まれの京大の先生らしい。

この辛亥革命百年記念のライカ「機身刻有「天下為公孫文」字樣」と記事にあり、あの孫文の悪筆が……とかなり冷めたが、マジに、それ。ボディはまだ許すがレンズには不要である。どうせなら「天下為徠卡」とでも刻字してしまへばいゝのに。
長安城中の少年―清末封建家庭に生れて (東洋文庫 (57))

長安城中の少年―清末封建家庭に生れて (東洋文庫 (57))