富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

炒麺娘の謝罪

fookpaktsuen2011-09-30

九月卅日(金)台風一過といひたいところだが不安定な悪天候続く。こんな時期に台風とは、それも今年初の襲撃で、中秋すぎたあとに台風が来たのは観測史上2009年が初めてで今年は二度目。それだけでも異常気象に驚くが次の台風が復たフィリピンから海南島の方に向かつてゐる。昔なら五月くらゐの台風のコースなり。九月八日に朝、路線バスのなかで炒麺を食らふ女子学生を叱つたが、この娘の通ふ学校の校長からメールがありこの学生も反省してゐるので赦してやつてほしいと。アタシも幸ひにこの学生たちからの襲撃も受けず、校長がペナルティを与へるといつたのだからアトは学校の判断だと思つてゐたが炒麺娘の反省謝罪文もメールに添へられてゐた。教師がきちんと善悪を教へてくれた、寛大に考へてくれてゐる、まだこの学校で勉強を続けたい(退学処分ちらつかされた?)……と反省と謝罪なのだが、アタシよか、かなり教師と学校に対する配慮。香港の学校は予想以上に厳しい。この校長通して炒麺娘に「自由もあるし勝手もいヽが前提は他人に迷惑をかけぬこと。他人が不愉快だと思ふことはしてはいけない。最低限そのルールを守ることで世の中の快適を保つのです」と手紙を認ためる。バスのなかで炒麺を喰ふ自由(といふか勝手)はあるが、バスのなかで炒麺を喰つてもいヽ権利はないわけで、何故かといへば多数の市民が構成する社会にあつて最大公約数的な快適さを維持するために各人の勝手は制限されるわけで、それは権利の侵害に当たらない……と陽一先生を読んだあとなので。アタシは個人的にはアナーキストになりたいが、炒麺娘がゐるかぎり、否、炒麺娘の存在は認めよう、路線バスで炒麺を喰らつてもいヽのだ、だが「注意されたら止める」くらゐの判断力もない人間がゐるかぎり市民社会を維持するためには学校に象徴される政治権力の装置があつて(バスの乗客たるアタシの言ふコトは聞かずとも)学校の処罰は恐れてくれるのなら必要悪として政治権力の装置(それが主権者たる国民の総体としての管轄下に置かれることが前提だが、それ)を認めようぢゃないか。悲しいことだがこれからます/\かういふ不愉快は社会で増えてくるやうな気がする。昨日、歯の銀の被せがとれて今日、歯医者にきっと昨日の急な休診で今日は混乱かと思ひつヽ電話したら六日といはれ「もし今日、予約でキャンセルが出たら電話するから」と。暫くして早晩に空きあり、と電話あり歯科医へ。歯の中がかなり劣化してて、もう既存の銀の被せは使へないしクラウン勧めるけど「日本でね」と。日本の方が保険が使へるとか技術が良いとか、さういふことかしら。とりあえず、と応急処置で詰め物。帰宅して「食事は二時間後」といはれたので昨日の葡萄酒を飲んで待つ。コロッケ揚げて食す。
▼外国人家政婦の永住権につき高等裁判所が入境条例は香港基本法が定めた永久居住権の「通常居住」に違反するとし原告のフィリピン人メイドの永久居住権認める。政府側はこれを不服としてすぐさま上訴。理論的には、理性的にはこの裁判所の判断は正当で根拠は迂生日乗八月廿七日に綴つた公民党の解釈の通り(こちら)。まだマスゴミもこの永住権が通れば有資格者(七年以上居住)の外国人家政婦は11.7万人などと嘯くが問題は政府が上訴し最終裁で敗訴の場合に「物事の判断の出来ぬ子どもが親に強請るやうに」人民大常委に「釈法」をば願ふことで政府自らが司法の独立を壊すといふ悪夢。
▼俳優香川君の歌舞伎界入り。事情通の知己の話をまとめると「本格的に歌舞伎やるのは無理かもしれぬが息子を歌舞伎俳優にしたいために無理を承知で「梨園の人」になる必要があったのでは?」てな感じか。山城屋の「それぞれのお家には、それぞれのお考えがありますでしょうから……」といふコメントも意味深げ。築地のH君からは浜木綿子さんに「婦人公論」で「仇敵・猿之助に息子と孫を奪われて」とか手記を書いてもらふとか。浜木綿子と寿ひづる、淡路恵子で「梨園離縁座」の旗揚げ、東京宝塚劇場で、と水戸のJ君。