富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

北方崑曲戯院「新版」西廂記

fookpaktsuen2011-07-08

七月八日(金)晴。酷暑警報続く。晩に芝居見に行く前に銅鑼湾の何洪記で雲呑麺食べたらHK$31なり。たかだか雲呑麺で。ラーメンも高いがラーメンの場合は具だのスープの出汁をとる材料だけでも数々あり手間もかゝるが雲呑麺はそれに比べれば簡単。間食の類ひ。高級店とはいへHK$31とはねぇ。なんてぼんやりしてゐる暇もなく40分後に葵芳の葵青戯院に間に合ふかしら?だが10分前には葵芳に到着。北方崑曲戯院の西廂記*1で楽しみにしてゐたが「新版」であつた。演出、舞台装置の新版だけなら未だ許せるが音曲が現代風の中楽団で役者に助唱がつき舞台では口パクもあり、そこまでなら百歩譲つて許すが役者の表情まで「新版」で通しで始終、笑顔。表現が下手なのか……のわけもない国家一級演員で、もしかすると能面であるとか文楽人形のやうに仮面意識してゐるのかしら。だうでもアタシには全く理解できず中入りで退散。銅鑼湾でバーSに寄りハイボール二杯飲み三更に入つた頃に帰宅。岩波の「世界」八月号少し読む。震災と核禍の特集も、もう論が出尽くしたかと思つたが「現地発!復興論」は読み応えあり。それにしても、北朝鮮拉致問題で、あの蓮池氏から(拉致問題ではこの方の発言、ポジションもだいぶ変はつたが)東電の原発の問題点を元内部関係者の立場から聞くことにならうとは(「東京電力という社会問題」恩田勝亘との対談)。
▼谷崎「陰翳礼讃」覚へ書き。「懶惰の説」に辜鴻銘についての言及あり「読易草堂文集」よりかなり長い引用あり。東都は深川平野の古書肆にこの「読易」の他、馮天瑜標点や張文襄幕府紀聞など収めた辜鴻銘文集を見つけ早速注文。谷崎が書いてゐる北平(北京)の夜の闇。当時に比べれば、だがアタシの知る今から三十年近く前も当時は「真っ暗」に思へる中国の城市の闇であつた。90年代はまだ広東省の肇慶とかも暗い市街に城壁が怖いほどだつた記憶あり。「恋愛及び色情」で言及される浄瑠璃芝居の人形の女の顔。歌舞伎の女形の役者の顔との違ひ。浮世絵の画家にとつての理想型の女の顔の連続。また古へを模範としそれに復帰することに重きを置く価値観。

世界 2011年 08月号 [雑誌]

世界 2011年 08月号 [雑誌]

*1:在山西普救寺借宿的书生张珙(字君瑞),偶遇扶柩回乡在寺中西厢借住的原崔相国的女儿崔莺莺,由于互相吟诗而产生爱慕。叛將孫飛虎帶手下慕名围寺,要强抢崔莺莺,三日之内若不交出莺莺,“伽蓝尽皆焚烧,僧俗寸斩,不留一个”。莺莺的母亲老夫人鄭氏宣称谁能救他女儿就将女儿许配他,张生向他一位故旧“白马将军”蒲州杜太守写了一封求救信,由一位僧人(惠明)突出包围送出,杜太守发兵解围。过后老夫人因门第不当悔婚,只是贈金並让莺莺拜张生为义兄以谢搭救。张生在悲慟之下患病,莺莺也大為傷痛,後來在莺莺的丫鬟红娘的帮助下,两人暗通书信,並最終成功幽會。最后私情被老夫人发现,慾責罰二人,但由于红娘据理力争,无可奈何之下,老夫人命令张生上京䍃考,如能蟾宮折桂成為狀元便真的把莺莺许配與他,於是张生進京赴試,考中并回来迎娶莺莺,有情人終成眷屬。(维基百科)