富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大谷崎と大チョートク

七月四日(月)晴。酷熱警報発令。本当に暑い。食欲も失せ冷やし中華みたいな冷たいものが食べたいかといふと不思議と熱食が食べたくなるのが熱帯の不思議なところで今日は仕事途中の夕餉に煮えたぎつた熱い及第粥をば食してしまつた。食べながら汗が滝のように流れてくるが美味い。熱いものを食して汗だくのまヽ外に出ると涼しく感じるから。星巴珈琲でMacBookWi-fiに繋ごうとしたらPCCWの接続が不良。ふと試しにiPhoneのHotspotなる機能使つてみたら藍牙でかなり早っ。世の中どん/\便利になつてゐる。で昨日の日剰を上網したら、それに呼応するか、のやうにチョートク先生がアタシの日剰をご自身の呟板でフォローして下さつた。時々さうしてくれるのだが大チョートクに、と思ふと、こんな日剰では恥ずかしい限り。なぜ突然「大チョートク」が浮かんだかといへば大谷崎の「陰翳礼讃」読んでゐるから。ふとダイタニザキなのかオヽタニザキなのか、と気になつたがアタシはダイタニザキと呼んでゐたが歌右衛門の大成駒は「オヽナリコマ」なのだから大谷崎もオヽタニザキなのか、でも考へてみれば文豪と呼ばれる作家も少なくないが大川端(オヽカワバタ)だと何だか大川の端で荷風先生の濹東綺譚か一葉の世界だし「大大江」ではオオオオエでは曖昧すぎる(笑)。さうなると作家でも「大」が付くのが谷崎だけのやうな気がして気になつて網上で調べたら、これが涙が出るほど面白いのは「本読みHPブログ」の「大と小」なる記述。小谷野敦が『谷崎潤一郎伝―堂々たる人生』の冒頭で書いてゐるのださうだが「大谷崎」を「ダイタニザキ」と読むのか「オオタニザキ」と読むのか。由紀夫さんが「大近松をオオチカマツと呼ぶんだし、これはオオタニザキ」と言ふと対談相手の聖一さんが「大成駒(オオナリコマ)というしね」と納得した、という話を引いてをいて、敦さん曰く「しかしそれが違ふ、谷崎が大谷崎なのは弟の谷崎精二と区別して兄(潤一郎)が大谷崎、弟が小谷崎なの、大ピットと小ピットみたいなもんなの」といふやうな記述なのださうな。痛烈に愉快。それが忘れられ「大谷崎」だけが独り歩き、と。でこのサイトで他の作家の例で「大」が付けにくい、と例に出されたのが大川端と大大江なのが何とも偶然。ただこの方は大川端は「御宿かわせみ」みたい、大江が「大大江」では「オー・オー・エー? OOA? Object-Oriented Analysis(オブジェクト指向分析)?」とまで妄想が素敵。で更にいろんな作家に「大」をつけてみるが(このへんはこのサイトでお楽しみを)最終的に大作家で貫禄があり長男で長生きで……の全ての条件を満たす谷崎潤一郎の凄さをあらためて確認した、と。納得。だがそれに収まらず「将来、この谷崎潤一郎をあらゆる点で上回る谷崎姓の偉大な作家が生まれて、あの谷崎はすごい、大谷崎こと谷崎潤一郎の上を行く「超谷崎だ」ということになると、楽しいと思います」とまで論が昇天。素晴らしい。で、話は戻るが結局のところ谷崎の場合は「小谷崎」の弟がゐたこと前提にすると「大ピット、小ピット」なら「大小」で「ダイ」だから、これは「ダイタニザキ」なのだらう。歌舞伎の役者の場合だけ?で大成駒、大松島、大橘が慣例で「オヽ」と呼ばれてゐるのか。なぜ役者は「オヽ」なのか、は依然不明だが少なくても同じ屋号の役者のなかで格別の存在が「大成駒」であり「大松島」なのかしら。すると、ふと気になつたが歌舞伎で梅玉魁春の兄弟である。いずれも屋号が成駒屋で兄弟なので大(ダイ)成駒と小(ショウ)成駒が使へるか、といふとやはりこれが絶対にダメなのは岡本町(オヽナリコマ)がゐるからで、梅玉がたとへ読み方が違つても「大成駒」名乗つたら義父は化けて出てくるだらう。化けて、でもあの演技がまた見られるなら是非に、と願ふが。で話を元に戻すとチョートク先生が日本でも著名な写真家で貫禄があつて還暦も過ぎてそろ/\長老の仲間入りで、而も弟さんがゐて……となると「大(ダイ)チョートク」で音もいヽ。良いやうだが「大」がつくのは「ダイ」だと姓で「オヽ」だと屋号といふ原則に立つとお名前で「大チョートク」はいけない。ぢゃ「大田中」かといふと(金田中なら料亭だが)チョートク先生でも角栄でも「抱いた仲」は語呂がよくない。かうして書いてゐても、なんだかもう話がまとまりさうな気配がないので止めたいので無理にオチにもつてゆくが、将来、チョートク先生をあらゆる点で上回る同名の偉大な写真家が生まれて、あのチョートクはすごい、田中長徳の上を行くと「超チョートク」ということになるのかしら。ところで、大谷崎といへば昨日の日剰で大谷崎が能ぢゃなくて能の役者の美しさに言及、と綴つが、これは更に正確にいふと能役者の手が、肌が、頬の赤みが……とそこまで見ながら「美しい」と感嘆してゐるのだ。能を見たこともアタシは数少ないが、いくら能を見てもそこまでふつう肌の美しさまで見るかしら、と谷崎に驚くばかり。でさつそく村上君よりメールあり能役者の装束や面や肌の色の美しさは「ある」と。ただ、これは「硝子越しにもせよ舞台に外光の入る」昨今まれな客席でのみ、と。密室の照明の下ではあり得ない、能役者の美しい肌があるといふ。衣装も昔の装束は草木染で糸の質も今と比較にならぬから舞台に燦々と外光の入ると装束の古い名品は底光りが射して惚れ/\する由(糸が低質で化学染料で染めた今出来のものはノッペリして駄目)。なるほどねぇ、といろ/\なことに納得する一日でありました。
▼香港で十年に一度の人口調査実施中。いはゆる住民票なるものがないため(日本的には「それでどう行政が動くのか」が不思議だらうが)この人口調査は大切。住宅登記を基に1割の世帯が収入や家庭環境など含めた細かい調査対象となり残り9割は簡単な13問のアンケート調査に回答のみ。未回答だと調査員による訪問調査があり、この調査員が学生アルバイトの大量動員。そのため学生の夏休みに実施。前回つまり十年前の調査のとき香港トレイルを走つてゐて(若くて元気があつた……)港島東南端の石澳で猛暑の下、土地湾の集落(わずか二世帯くらゐ?)にこの調査員が行くのに難儀してゐたのを見かけた。で今年の調査ではアタシは運良く9割のアンケート回答のみ、に当たつたが気になつたのが13問のうち種族(人種、民族)の項目。亜洲人、白人、黒人、その他……とあり、これだけでもなんだが亜洲人の項目は華人、日本人、泰國人でバングラディシュ、韓国、ベトナム、フィリピンと続く。人種、民族と国籍がごっちゃになつてゐないかしら?と思つたが、今日の明報の報道によると、やはりこれが種族歧視条例に抵触しないか?といふ声があるらしい。香港役場の担当局は取材に対して事前に平等機会委員会に諮り、この白人や黒人といつた区分は米英などでも差別に当たらず、と。……かもしれぬが例へば「華人」は専門家の教示待つ迄もなく人種とは異なり蒙古系の中国国民の場合は何と答へれば良いのか。中国の朝鮮族は「韓国人」と「華人」の何れでもなく、どう答えるのか、が曖昧。結局のところ少数民族含み大中華は「華人」なのか?と中華思想をこの背景に感じるのはアタシだけかしら。ちなみに2006年の中間調査ではマジョリティの順でフィリピン人(11.25万人)、インネドネシア(8.78)、白人(3.64)、インド(2.04)、混血(1.81)、ネパール(1.6)、日本(1.32)、タイ(1.19)、パキスタン(1.11)と続き「黒人」は「その他」に含まれた由。いずれにせよ不明瞭な概念による調査、といふか偏見も含め香港的スタンダードの民族人種感なのかも。今年の調査では間違ひなくインドネシアがフィリピン抜きトップ。日本人は1.32万人より確実に多いはずだが「言葉がわからない」で、アンケートと訪問調査に協力できてをらぬ可能性もあり。