富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港フィルはPerry So君で幻想交響曲

陰暦四月十九日。小満。昨晩痛飲のわりには今朝も五時半くらいに目覚め新聞読み。香港電台第4台、朝の8時台にプッチーニの「ラ=ボエーム」ってどうかしら。陋宅で寝室とピアノ部屋の冷房の交換工事。冷房はほとんど使はぬが寝室は湿気ひどい日に寝苦しく除湿の要。窓はめ込み型が五月蝿く分体型に。ピアノ部屋は防音に窓を閉めるとさすがに暑い。この部屋の冷房機はおそらく、このマンション新築の二十数年に取り付けたのであらう骨董品で取り外すと内部劣化甚だし。居間とアタシの書斎の冷房は運び出して内部清掃。……のはずが業者間の勘違ひでピアノ室のボロ/\のも掃除で戻つて来て新品届かず。あらためて作業することに。で作業は夕方終はるはずが寝室の冷房機はめ込み窓の枠撤去と分体式の配管に手間取り晩六時半くらゐまで。職人帰つたあと慌てて床掃除と寝室の寝床つくりのみ済ませ尖沙咀。文化中心で香港フィルで指揮はPerry So君。林豊なる香港出身で英国で修業中の作曲家(1979〜)の「解」Unlockingなる曲のアジア首演が一局目。7x7の数字のマトリクスで四度毎に曲が展開?だか何だかアタシには理解不能。二曲目は阿根廷はブエノスアイレス出身のメゾソプラノ、Daniela Mack嬢(こちら)招いてのラヴェルのShéhérazadeなる管弦曲。ラヴェルなんて殆ど聴いてゐるつもりでこれは初めて聴くが「アジアよ、アジア……」で始まる思ひっきりオリエンタリズムそのもの。2番のLa Flûte enchantée「魔法の笛」はオペラらしいが、あまりに抽象的な曲風で3番L'Indifférent(つれない人)は曲名の通り。ラヴェル自身が1899年の首演の後に封印でオペラとしても完成せぬまゝ。ラヴェル生誕百年で1975年に再発見で出版された由。で中入り後にベルリオーズ幻想交響曲。指揮ぶりが過剰のPerry君自身がかなり好きさうであるし(彼が指揮者用譜面でなくスコア本で振つてゐる)問題はあの香港フィルがどこまでベルリオーズで幻想の境地に達せられるか、だらう。第1楽章(Rêveries, Passions)では典型的なソナタ形式の所為もあるがまるでハイドン交響曲を聞くやうで熱病の夢にはほど遠い気もしたが第2楽章(舞踏会)では少し酔ひ始め第3楽章(野の風景)で音楽監督エド=デ=ワルト氏になつた七年で香港フィルもかなりレベル向上で楽団員が更にまた金管木管など変はつたかしら「上手」と思ふ奏者少なからず。たゞ弦楽、ことにヴァイオリンはうねるような躍動感が今一つ足りないのが常だが、さすがにこの曲の第4楽章(断頭台への行進)と最終楽章(魔女の夜宴の夢)では阿片を食した狂気からはまだ程遠いが、この楽団がこの小屋でこゝまでここまで豊かに聴かせたのは、もう後任の決まる音楽監督だが江戸出悪人氏の功績であり今晩の幻想で楽団を「ここまでいぢった」Perry君の面白み。冷房改修で夕食の機を逸し何だか朝鮮冷麺食したく演奏会跳ねたあと尖沙咀はAshley Rdの釜山韓国餐庁に食す。吉田健一「東京の昔」(ちくま学芸文庫)漸く読了。端緒の話(下宿近くの自転車の若い勘さんとの徹夜の大酒飲み)がやはり一番面白い。資生堂パーラーの窓は縦に細長くなければ資生堂ぢゃないこと。酒のお燗する「酒たんぽ」を今年の冬、築地の道具屋で購ひ「酒たんぽ」なる言葉を知つたがアルミの前はやはり熱伝導の良い銅や錫がいゝわけで健一さんが「錫のちろり」と呼んでゐるのが素敵。「酒たんぽ」より「ちろり」の方がどこか風情あり。

その頃は日本橋丸善の近くに、もう少し詳しくその場所を説明すればそこの電車通りを反對側に横切つて路地を二つ三つ曲がると小料理屋とも飮み屋とも考へられる店があつてそこも後になつて時々思ひ出すやうな酒を客に飮ませた。その頃のさう云ふ店は大概は土間で木の細長い机と腰掛けが竝び、そこの店は入つた奧の店の主人がゐる所に銅壺(どうこ)に湯が煮立つてゐて酒を頼むと錫のちろりに酒を注いでその湯でお燗をして出した。寧ろそこは料理屋よりも飮み屋と言つた方がよかつたかも知れないのはその店で料理を食べた覺えがないからであるが附き出しが鮪と葱のぬただつたり飯蛸の煮たのだつたりしていつも違つてゐてそれもそこに行く樂しみだつた。

つて一読して普通の飲ん兵衛文士の軽い綴文なんですが、これが他とは違ひ何とも風情が活きるのがさすが健一さん。

東京の昔 (ちくま学芸文庫)

東京の昔 (ちくま学芸文庫)