富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-05-06

陰暦四月初四。立夏。思ひもかけず仙台の樋口晟子先生より「私の記憶」といふ自家版の書籍を贈られる。先生がこれまで新聞やなどに書かれた文章を研究生活が半世紀超へたのを機に纏められたもので柘植書房が製作。別篇で父親の高橋剛彦氏*1に関する新聞記事など活字に遺されたのも貴重。高橋氏は経財界では東洋刃物社長で1961年の訪中経済有効代表団の団長。この本でこの訪中の際に周恩来首相と並んだ写真で初めて高橋氏の尊顔を拝す。今日からジャスコ日本食節の由。自宅に「まぐろう君」来たが彼はマグロ産品を100ドル買はぬと貰へずウチは中落ちを買ふくらゐで88ドルなので「まぐろう君」連れて帰るのに苦労してゐたが彼がゐるのでマグロの刺身でも一緒か、と期待したがZ嬢の話では中落ちが一挙に138ドルに値上がり、で中落ち一つで「まぐろう君」付いてきた由。
▼今日発売の經濟學人誌は当然のやうに米国によるビン=ラディン征伐を特集。巻頭の“Now, kill his dream”(こちら)から溜飲を下げつ読む。

His vision, however impractical, of purging Islam and establishing a single Islamic caliphate appealed to Muslims disgusted by the venality of their own elites. His means of bringing it about embraced an orgy of murder and martyrdom partly directed against the “Crusader” West, particularly America. Sad to say, that also appealed to many Muslims for a while.


そして何よりObituary(こちら)で取り上げられたビン=ラディン師の生き様。“How he really saw himself was as a construction engineer.”

*1:先日、仙台市長町地区再開発にて中華街構想に市長が慎重な姿勢と紹介したが魯迅先生の仙台医学専門学校(現東北大医学部)留学時のノート(複写DVD)を、このたび北京魯迅博物館が東北大に寄贈。小説「藤野先生」に登場する恩師・藤野厳九郎による朱筆の添削もあり。市長がこういった仙台と中国の歴史をどう考えるか。あまり期待もできぬ、か。ところで仙台市立博物館の前庭に「魯迅の碑」がある。1960年建立のきっかけは50年代に日中友好協会宮城県連会長を務めた故・高橋剛彦氏(東洋刃物株式会社社長)が55年の実業団第1回訪中の後に建立を主張。高橋氏のことを今では知る人も仙台でも少ないが当時、業界シェアで日本有数の刃物メーカーで「左派社会党支持で知られる異色の青年社長に労組もタジタジ」、春闘のときは組合側に「もっと毅然と要求出せ」と注文というのが想像しただけでも可笑しいが。で、この記念碑建造は土地を取得するアテもなく計画は頓挫か、と思ったところに「革新市長」に初当選の故・島野武市が仙台市博物館建設用地の一部を提供。こうした時代の理性を現市長がどこまで理解しているか。「ただの革新、親中」と嗤う勿れ。「魯迅の碑」という題辞は当時の中国行政院長の郭沫若の筆。中国婦人代表団団長の許広平女史(魯迅の教え子でで晩年の愛人)を招き61年に除幕。(富柏村日剰2005年12月20日