富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-04-21

四月廿一日(金)昼餉の時間惜しみ銅鑼湾の香港紅十字で献血。香港で記念すべき50回目。1980年代後半の東京では恵比寿に住み広尾に仕事に通う日々で広尾の日赤の献血が好きだつた。献血センターの眺めが抜群。久々に北角の寿司加藤。口開けの客で早酒は恵比寿麦酒に菊水冷酒。コハダと赤貝。九州から空輸の魚介も検疫厳しく配達の時間遅く難儀の由。早酒ゆゑ長居は野暮、で次のお客来られておひとま。疲労甚だしく晩九時半に臥床。
▼西九龍の芸術區開発に倫敦はSouthbank CentreのCEOだつたMichael Lynch氏招聘。香港の余りの野蛮ぶり?に倫敦に逃げ帰つた前任者Graham Sheffieldの逃亡裏話はこちら(蘋果)。いずれにせよCEOをば倫敦から、が植民地的。どうせなら香港、中国から、で艾未未は如何?
澳門ホテルオークラ開業(公式)。コタイは銀河賭場の一角ゆゑ和風あふれる「丁半」なんかあつたりして、と小樽M氏。どうせならお茶屋も。でも花魁は大陸妹。で先導の男衆はフィリピン人。休業中の大相撲の招聘も善策か。
▼核禍。事故発生の当初最悪で良化していけばいゝが三週間経つてチェルノブイリ級、五週間過ぎて付近立入禁止、さうした後手が「やつぱり日本人は信じられない」と海外が感じるところ。国の措置に反発する自由あつてこその地方自治では? 町議会で政府措置に反対決議なり罰金十万円は町による補填、国を相手どっての集団訴訟なり。やはりお上に従う風土。暴動なり一揆、町議会での国会解散、首相不信任決議があつてこそ民主主義社会、市民の民主主義では? 耐へ難きをを耐へ忍びがたきを忍び社会の秩序、行列、自粛を海外から褒められまんざらでもないやうでは、やはり非近代社会と嗤はれても致し方なし。