富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月六日(水)曇。
艾未未(Ai Weiwei)の呟板は http://twitter.com/#!/aiww にあるが四月三日に北京空港で身柄拘束されて以来、行方不明。艾未未の現代芸術を評価する人は艾未未が中国政府当局に拘禁されてゐる今、それに沈黙することは欺瞞になるだらう。アタシも香港にゐるからかうして「艾未未」と綴れるが一歩、大陸に入つたら艾未未は禁句で一切何ら言及も出来ない。なんて巨大な牢獄なのかしら。
▼日本の核禍で香港も広東省の大亜湾原発の安全性問はれ一大事の時は香港も被曝地域となる懸念あり。信報に興味深い記事あり。今を去ること四半世紀前の1986年、中英合意で1997年の香港返還決まつた二年後だが大亜湾原発の建設決定。その三年後に天安門事件。香港で移民熱の高まり。当時、大班・鄭經翰を中心にジョルダーノの社主であつた黎智英(その後の蘋果日報創設)、聯交所CEOの袁天凡、医師会から梁智鴻など集まり有力な財界人が「路」(ROAD Right of Abode Delegation=居留權代表団)なる大規模な移民計画に参画(雑誌CAPITAL(資本雑誌)1989年7月号に記事あり)。宗主国・英国に英連邦への香港居民の居留権を求めたもの。また翌月号(89年8月)には黎智英の「新香港」計画も登場。あまりの大風呂敷だが香港と面積や地理条件、気候など同条件の場所を探し、そこに新香港をば建設。豪州のDarwinがその候補地の一つとして挙げられたのは当地に東南アジアからの移民多くアジアとの距離感や多文化的風土が香港に似合ふ、といふもの。香港にとつての代替地であるばかりか当地に経済的効果も大、と。結果、この計画が香港独立に繋がる動きと北京中央から警戒され中国が90年代に大きく経済発展に舵をきつたことで「中国あつての香港繁栄」とされたが今になつて大亜湾原発や香港への影響など考へると四半世紀前の移民計画や新香港建設もふと思ひ出された、とこの記事。