富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

亀治郎のお染七役

fookpaktsuen2011-02-03

辛卯年正月初一。朝の六時過ぎには目覚め(といつても寝たのも昨晩十時)、七時前、水平線からの日の出拝む。朝食ののち、予定通り十時のスーパービュー踊り子に乗る母を残しアタシだけタクシ雇ひ下田駅。午前九時前の鈍行で熱海。新幹線に乗り換へ東京へ昼まへに着く。せつかくだから母と一緒に動ければ良かつたがもと/\近場の温泉に一泊の予定で翌日は昼には東京にゐるだらう、とアタシ一人で歌舞伎の昼の部の席を押さえちまつたら伊豆下田に行くことになり往復の鉄道と旅館のパックだつたものだから、こんなことになつた。でテアトル銀座。於染久松で龜治郎のお染の七役。そのなかではやはり猿之助譲りか澤瀉屋らしく土手のお六がニン。だが「お染は可愛らしくなければならない」なら梅幸扇雀(現・藤十郎)、久松も龜ちゃんは小柄なので鬼門の喜兵衛から太刀を奪ひ、がどうも弱々しく(歌舞伎にリアリズムは求めぬが、それでも)どうも久松が実は武家の子息、が頼りない。それでも七役やることが面白さなら細かいことは目をつむる、が鬼門の喜兵衛役の染五郎はどうかしら。若手、若手と思つてゐたが、もう38歳。喜兵衛の役の方が若いくらゐ鴨、と思ふと、どうも線が細いといふか若手歌舞伎の粋を出てをらず、細くても松島屋のような上手さもなく、この役なら團十郎とまではいはぬがパパ高麗だつて、もつと喜兵衛の悪ぶりを実写的に演じてみせるだらう。山家屋清兵衛役の友右衛門が上手い。器用な役者だが大きな役がつかず勿体ない。脇役も高島屋のやうに大切だが大看板ゐての脇役であり役者不足ならこの明石屋あたりがもつと大きな役につけるといゝのだが(京屋の跡取りなのだ)。芝居跳ね午後遅く東京駅まで歩き中央線で四谷。地下鉄に乗り換へ新宿三丁目。手荷物預けジュク徘徊。ベルクに麦酒一飲。喫茶ピースで地唄舞の医師・文兄と彼のご母堂にご挨拶。古典劇評M君(久が原T君)、築地H君とGalerie Coupe Chouに食す。M君と東口に出てバーQに飲む。M君の知己と三人で明治通り越へ更に一飲。三更になつたのでそろ/\お開き、と三丁目の地下鉄駅に下ると23時で「防犯のため」地下道閉鎖、と。終電のアトなら当然だが未だ地下鉄走つてゐるのに三丁目の駅は四谷寄りの改札だけ開いて新宿側に抜けられず。なんのための連絡地下道なのかしら。手荷物預けたコインロッカー周辺に6時〜23時とか掲つたのだらう、が、で手荷物奪へぬまゝ手ぶらで麻布鳥居坂の旅寓に戻る。
▼大相撲の八百長朝日新聞は西村某なる編集委員が一面で「国技といわれてきた大相撲は果たしてスポーツとして成立していたのだろうか」と叱つてみせる、がそも/\相撲興行をスポーツとしたことが大間違ひ。結局のところ相撲も西洋スポオツへの対抗上、両国に相撲常打の施設造ることとなり日本の国技なるものに祭り上げられ両国「国技」館となつたのが国技としての相撲の「近代の」歴史。宮中歌会や歌舞伎と同じ。ただ問題は、柔道や剣道ならまだ良かつたが「見物客の前で見せること」が目的の相撲はどうしたつて興行。無理矢理それをスポーツにして文部省が管轄なんてのが不健全。今日の朝日は社説は題こそ「相撲は競技か興行か」なんて掲げてみせるが内容は相撲の興行性などに一言も言及なし。どうせなら「この際、スポーツという枠を解体して元来の興行にしては?」くらゐ提言してほしいが期待もできまひ。
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