富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十一日(火)晴。気温摂氏10度。香港にとつて体感気温では摂氏零度である。明日の朝は摂氏7度の予報は氷点下だ。 一月になつて二度もズボンのベルトするの忘れて外出。寒さで厚着するので夏に比べベルトに注意がいかぬとの痴呆だらう。 どうせ注意したつもりでまた忘れるので、仕事場用にベルト1本購入。置き傘ならぬ置きベルト。iPhoneの修理に銅鑼湾の蘋果の顧客服務中心に往く。撮影不良と告げると服務員はアタシのiPhoneのヘッドフォンジャックに電灯当て穴を覘き「水が入りましたね」と。アタシは思はず嘲笑して「全く馬鹿を言ふのはおよしよ」と。SCMPの記事だつたか普通に使つてゐるだけでアジアモンスーン型の多湿では水を被つたり浸水の被害に遭はずともiPhoneはすぐにヘッドフォンジャックから水が入つたなどと言ひがかりで故障に理由づけ保障期間内であつても顧客の取り扱ひの誤りといふ理由で有償での修理にする、と。他のNokiaの携帯など数年使つてもあり得ぬ不良で完ぺきにiPhoneの設計上のミスなのだがヤクザな企業ゆゑ顧客の所為にして何がユーザーフレンドリーか聞いて呆れるが、それがApple社。それでも素敵な商品産出するから顧客も離れず、の不愉快な関係。どうであれ電灯を当てヘッドフォンの小さな穴を覗くとあら不思議、穴の突き当たりの金具が半分、朱に染まり、これが水が入つた証拠です、と何やらお茶屋での好事家深更の妙技の如し。で修理でござゐますが、と当然これは保証外で、と途方もない料金請求は錦糸町のキャバレーか、と思へばさに非ず修理はこのiPhoneお求めになつた携帯電話契約会社のサービスセンターへ、と。一寸待つておくなせぇ、昨夏このあっしがiPhone入手しました際に購入当日にイヤフォンで音は聞けても当方の声を拾はず翌日に携帯電話会社に出向きましたらニベもなく「修理は蘋果で」と此処に来たんぢゃ御座いませんか。すると修理するまでもなく「交換」と。それが今度は携帯電話会社へ、とはいつたいどうした了見、客を愚弄して何が楽しいんでござんすか、と訴へれば「昨年十一月からポリシー変はりiPhone修理は各携帯電話会社になつた」と。iPhone利用者増へ修理の需要過多で、とても此処では捌ききれぬ、と。「顧客増より修理件数の多さでは?」とアタシも思はず悪態つき携帯電話のCSL商店へ。アタシのiPhoneのシリアルNo.が記録と異なる、と先づ障りあり「これ/\しか/\」と購入翌日の交換のワケを語り「暫くお待ちを」といはれCSLの職員は「ソフトヱアの不具合でせう」と宣ふ。蘋果では「ハードヱアの障害で、水が入つたとの診断だつたが」と伝へると「先に言へよ」と言ひたげな職員は復た「暫くお待ちを」で「先づはソフトヱアをリストアしてみて」と。「データを全て削除しますがよろしいでげすか?、旦那」と職員。データ消去なんて昔なら崖ッぷちから突き落とされるが如き災難だが今ではiPhoneのデータなど全てMacBookに保存されてゐるから、まるで「アタシのお腹には貴方の子が。産みたい」といはれたAB蔵の如く平然と「さうですか、どうぞ」と狼狽がずに言へるわけ。ふと思へばApple製品はiPhoneにせよMobileMeやタイムカプセルのデータ保存にせよ考へてみれば便利といふよりハードヱアに何か不具合あつても問題なくバックアップできる技術なわけで、それがなぜ利便性が求められるかといへば、それだけハードなんていつでも壊れるし復旧が容易でなければならぬ、といふ経験知なのかしら、と思つてゐる間に15分でリストアしましたら撮影部分の不具合は治りました、と職員は「但し、ご指摘の通り、水が入つたやうですからハードヱアの修理も急ぎませんがお勧めします」と。いゝ加減におしっ!、基本的な設計とハードヱアの脆弱さにもかゝはらず客の不安を煽り保証外の有償の修理を誘ふなど、まるで花柳病の感染しりつゝ淫売し性病科なら、と吉原病院を紹介するが如し。自宅に帰つてからMacBookに繋ぎデータのリストアすれば30分か、で忽ち何事もなかつたか、のやうに全てのデータから設定まで全て復旧。真冬の白日夢の如し。晩にこんな寒晩は自宅でウヰスキーのお湯割り。 汁物でミントで!出汁をとつた澄まし汁いたヾく。大根とレンズ豆*1入り。
▼昨日綴つた読売新聞の「識者に聞く」で山崎正和の中国論読む。呟板で山崎の中国論を「脳内中国」と云ふ指摘があつたが然り。一言でいへばイザヤ=ベンダサン的「一概」論。和辻哲郎の時代なら赦されたが山本七平ではすでに嗤はれてゐたわけで平成も廿数年になつてなにを今更、な短絡的中国文明論。橘樸、中江丑吉、アタシは好みぢゃないが竹内好の時代が懐かしい。「工業化が進み、経済的に自立すれば市民が育ち、民主化するという理論が、中国には当てはまらなかった」と山崎先生は先づ冒頭からストレートパンチ。中国はもう終はつてしまつたらしい。中国文明の特殊さについては「他の文明から明らかな影響を受けないで独自に産まれた」ことを指摘するが(一寸、誉めてゐるやうに聞こえるが)「ローマ帝国がそれ以前のギリシャユダヤから影響を受け、移動・混交することで「雑種強勢」し、新たな文明を生み出したのとは全く対照的」とするが、そも/\中国の「文明」はローマどころかギリシャくらゐまで遡れば良いのか、あるいは世界四大文明はどれも世界の隔たつた地域で文明が生まれたことの面白さはジャレド=ダイアモンドの指摘を待つまでもなからう。時代は下るがシルクロードを通した西洋との、またイスラム、印度との交流がどれだけ深かつたことか。中国文明の特徴として「官僚支配」を挙げるが官僚支配はあくまで皇帝の王朝といふ政治体制のなかでの官僚主義に過ぎず優れた装置ではあつたが(中共の地方小役人を見るが如く)「支配」といふほどに、ましては中国「文明」の特徴といふには優れた装置として足り得ぬ。また「漢字」が漢文の読み書きのできる官僚を支配階級とさせ知識ある都市民と農民を区別し……とするが、それも一理あるが寧ろ「漢字」があることで口語の異なる広域の民を「読み書き」を通して漢族として意識統一できた重要性こそ指摘すべき。中国の文明論で「海」を挙げたことは(どうせ尖閣列島南沙諸島の中国権益など念頭にあっつてのことだらうが)面白いにせよ中共の海軍力の強化を経済成長により豊かになり大国化したことで「海に感心を持ち始め」といふが不老不死の薬探り徐福の伝説は語らずとも鄭和の大航海にせよ南洋での華僑進出にせよ中国にとつて黄土の内陸に比べ昔から渡海への意欲は凄まじいものあり。簡体字の誕生で農民も字が読めるやうになつた、といふのも短絡的すぎ。簡体字でも正字でも教育の普及の結果がそれ。山崎に言はせれば日本はその中国に比べ「仮名を使うために社会が縦につながり」(農民でも仮名なら読めたといふことか)、支配階級が交替し幕藩体制は実質的に諸国家併存で(それが米国の合州国体制に近いから?)社会の体質は「中国よりもアメリカに近い」って幕藩体制の確立はまだアメリカはインディアンの時代(笑)。封建制の「藩」と市民革命後の近代制としての米国の自治州を同じとしてしまって、更に、だから「日本は中国よりアメリカと協調するのが自然」と山崎先生はもう時の流れを超越。さすが劇作家。で更に中国を「知識を持てば持つほど自由にものを言いたくなるのが知識人であり、中国が知識産業を強くしようとすれば、自らの足をすくうことになる」と貶し(知識人的な意味での知識と知識「産業」の知識は別物と違ひませんか?)、その中国から論を発した文明論がそのあたりから突然、意味不明に「知識基盤社会」論となり、日本人は優秀だつたが戦後の教育が高学歴低学力を生み(もう、こんな愚論はうんざり……そも/\そんな時代に大学教授していた教育者としての責任を山崎先生は感じないのかしら)、そこから論の最後に、そのネット社会史に残るであらう明言としての

もう一つ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、 知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、 「責任を持って情報を選択する編集」が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。 ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある。

に至る。こんなのを「識者に聞く」としたナベツネ新聞の知性も疑ふばかり。聞き手の横田滋なる文化部の記者曰く

中国が責任ある国際社会の一員になるか否かは今や日本の最大の関心事だろう。山崎氏の文明論は、その回答への貴重な手がかりを与える。そこには中国が「諸国家併存」を受け入れていく可能性も含まれる。

と語り手も語り手なら聞き手も聞き手。このレベルの中国論で世界のなかでの中国の役割云々など何も説かれてをらず、何よりこの聞き手の誤解は山崎が指摘した「諸国家併存」はあくまで幕藩体制=幕府あつての諸藩の共存。それを中国に当て嵌めたら(中国がよつぽど国連中心主義にでも従わぬかぎり……あり得ぬが)Pax Sinae ですかね、中国が幕府で日本や韓国など諸藩だらうに。山崎はマスコミの権威と責任ある情報を発信を求めるが、こんな愚論がブログやツイッターより、どれだけ大衆社会により悪い影響を与へるか……って、それより誰も新聞なんてそんな読んでないか。

富柏村サイト www.fookpaktsuen.com
富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/

*1:光学用途で使われる「レンズ」の語源は、このレンズ豆であり、当初作成された凸レンズがレンズ豆の形状に似ていたことからこの名前が付いた。-ヰキペディア参照