富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-01-03

一月三日(月)曇。一昨日に綴つた李光洙(이광수)の小説は読んでみたいが古書もかなり高値で日本に戻つた時にどこか図書館ででも往つて読もうか、と思つてゐたが香港大学の図書館に小説『有情』(昭和15年、日本モダン社)があるのを検索で見つける。昨日は憶測すらなく開架の日本語書籍はだいたい背表紙だけは眺めてゐる(かなり大作さんの著作が多い……)がStorageで閉架では気づかないのは当然。さつそく借用申請。
▼ついにあの赤瀬川原平さんまでブログ開設(こちら)で呟板も。後者は開設しただけで一度の書き込みもないのに数日ですでに二千数百名が追従。ブログの日記はその筆致がやはりどこかフツーの鍵盤打ちの人の文章とは違ふのがさすが原平さん、と思ふ。
▼もう一人アタシからするとネットデビューせぬのが勿体ないと思つてゐたのが古典劇評論の畏友、村上湛君。かれも昨年末に満を持して、のサイト開設  http://murakamitatau.com/
▼司徒華氏の逝去、中華圏では大ニュースだが日本では知名度はけして高からず、それでも新聞各紙が何らかの形で載せるのは大したもので朝日新聞は国際面の隅に訃報といふ扱ひ。

*司徒華さん(しと・か=香港最大の民主派組織「香港市民支援愛国民主運動連合会」主席)香港メディアによると、2日、肺がんのため入院先の香港の病院で死去。79歳。小学校の教師出身で、香港の国会にあたる立法会議員を19年間務めた。1989年の天安門事件では、市民に5人に1人が参加したとされる100万人デモを実現させ、民主派を象徴するリーダーの一人として運動を率いた。

と広州電、つまり広州支局発。「しと・か」はどうにかならないか。ルビがなくても読める。読めないのは広東語読みの「シートゥ・ワ」か普通話の「スートゥ・ホワ」だろう。アサヒコムには

香港最大の民主派団体「香港市民愛国民主運動支援連合会(支連会)」の司徒華主席が2日、肺がんのため香港の病院で死去した。79歳だった。1989年6月4日の天安門事件で武力弾圧された中国民主化運動への支援活動をきっかけに結成された支連会で一貫して主席を務め、香港民主派の象徴的存在だった。英領時代に立法評議会(香港総督の諮問機関)議員となり、中国の香港基本法起草委員会にも一時加わったが、天安門事件を非難して中国共産党政権と対立するようになった。民主派最大の政党・民主党の前身である香港民主同盟を90年に創設。香港返還後の98〜2004年、立法会(議会)議員を務めた。「反革命暴動の鎮圧」とされた天安門事件の評価見直しや中国政治犯の釈放などを求め続け、同事件犠牲者を追悼する毎年6月4日のキャンドル集会やデモなどの活動で中心的役割を果たした。

とこちらは時事通信の香港電。

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