富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-11-13

十一月十三日(土)晴。朝から沙田の中文大学。同大学の日本研究学系成立二十周年記念のシンポジウム(こちら)で「近現代日中文化交流から見る現代性とアイデンティティの模索」なるお題目では誰にも意味不明だろうが江戸から明治、大正にかけての日中交流が筆談、漢文によつてどうなされたか、それは日本が中国から学んだ漢学だけでなく西洋の近代の学問が日本語を介して漢譯された物も多く当時の日本と中国の文字を通した交流の深さ。朝九時から開会式。アタシはかうした学術シンポジウムなど無縁だがアタシが同大学に在籍の二年間が丁度、日文組が日本研究学科に昇格する時でアルバイトで教務助手として学科長のY先生のお手伝ひしたことあり。まだ当時は日本の栄光の80年代のあとで「日本に学べ」の頃。その後、大学の組織見直しでいくつかの廃止検討にこの学科も含まれたこともあつたが卒業生の安定した就職率やポップカルチャーなど新しい学問?領域もあり今日に至る。開会式では引退された旧知の先生方や同僚だつた今ではすっかり初老の皆さんと旧交温める。先々代のK総領事をられ開幕式のあと茶叙でご挨拶。欧州の大使を最後に退官後、この大学で教鞭とられてゐる由。午前中の最初の専題討論「中日書墨交往」を拝聴。今回のシンポジウムの特徴は中国語(普通話)が主で発表や学術討議される研究者は皆さん日本語は当然明るいが日本、米国の研究者も中国語用いるのは漢学的要素が高いこともあるが今日的には興味深いところ。またこの日本研究の学科も当初は当然だが日本語教育が主で、その後にポップカルチャーやアニメなども研究対象とするノリがあつたが今回の古典回帰は今回のシンポジウムを主宰する呉偉明先生の専門がさうであることもあろうが、やはり日本と中国の交流が何かと障害があるにせよ古来から言葉を通じて為されてきたことを認識する上で大変重要。かつて毛筆で始まつた日中間の筆談が硬筆となりメールで「無筆」となつたこと(中文大学、黄天先生)も興味深ければダグラス=レイモンズ先生(ジョージア州立大学)の江戸時代後期から明治初期にかけての日本が鎖国状況にあつても漢学、蘭学が入り伝統的な儒学国学と合わせ学問領域的にはかなり広汎であつたといふ指摘も重要。知識階級に限られたこととはいへ今日より「文章を読む」ことで開放的であつた加茂。この最初のセッションだけで会場辞し相変はらず不味い学食で(それでもだいぶ清潔にはなつが)で昼餉。午後の映画まで少し時間あり太古坊のEast Endで昼酒。西湾河の映画資料館でヒッチコック監督の映画「めまい」見る。これも名作だがアタシはこれをテレビやビデオでも見てをらず。途中、昼酒の所為で一瞬睡魔に襲はれ筋を追ふのに難儀。面白いが殺人のトリックと元刑事をその犯人に仕立てる手段に無理もあり。こゝ数日少しGastroenteritisの気配ありC医師の診断と処方薬いたヾき帰宅。晩に雑煮。晩八時半より亦た映画資料館。午後の映画で睡魔に襲はれ不覚にも手にしてゐた扇子落としたやうで見当たらず、を職員が拾つてくれてゐて受領。京の宮脇賣扇庵の扇子ゆゑ無くすのは惜しい。今度はヒッチコックの「サイコ」見る。サイコは見てはゐたがテレビ映画で劇場では始めて。殺人シーンのカメラワークや構図、そのコマ割りのスピーディーさ等々あらためて凄いと思ふが、やはり銀幕だと、あの瞳孔からの目、表情、肢体への60年代の時代の到来予告するやうなモード、警官や探偵などに尋問される相手の微妙な手指の震へ、さらに尤も重要なのは無音の際の静寂。


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