富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-10-18

十月十八日(月)晴。週刊文春を眺めてゐたらシリーズ「家の履歴書」で花村萬月。萬月氏はどうしても「学園」の話になるが、ちょうど王国記「ゲルマニウムの夜」読んでゐたので偶然、と思つたが「評判の王国記シリーズが文春文庫でPRもありか」と納得。表題作の「ゲルマニウムの夜」は映画を上野の特設小屋で見た四年前の夏のあと、面白いが演出の過剰がないか、と、その製作にも係られた羽仁未央さんに彼女の家で鍋をご馳走になりながらアタシは勝手にコメントしたものだつたが、原作を(芥川賞受賞時以来で)久々に読み、こんな小説をよく、むしろさらりと一本の映画に収めた、と今になつて思ふ。
▼今月三日のマイスキーのチェロ演奏会を劉威霖氏が信報で語るのはデ=ファリャのスペイン民謡からドビッシーのチェロソナタへの選曲はドビッシーが西班牙化してしまつたといふような話から「サイン会開催とアンコール演奏」の指摘が興味深い。香港では政府文化康楽局絡みの演奏会で演奏後のサイン会実施が恒例でマイスキーやランランなど演奏後の疲れもあるだらうに数百人相手のサインに応じるのだが観衆の一、二割がサイン目当てアンコール一曲目終了に百人以上が離席。マイスキーはアンコールで五曲演奏したが演奏会の雰囲気台無し、と。御意。Z嬢はサイン会を会場でCD購入の客限定とか予め整理券配り100名限定とかにすべき、と。また今日のこの信報には昨日、マカオのテアトロと禮記アイスで続けてお見かけの周凡夫氏が四日のユンディ=リのComemorativo do Ano Chopin 2010(ショパンづくし)のリサイタル酷評。ノクターン5曲で1曲目終はつた時ばかりかソナタ(2番)でも第一楽章で思ひきり拍手する客の無作法は別としてショパンコンクール優勝から十年、李雲迪の演奏は進歩が見られないとはいはないがショパンを奏でる際に例へばノクターンも作品9の1と2、15の2、27の2と48の1と続けるなら同じ夜想曲でも夜の印象は異なり、マズルカショパンに加へ奏者の己がどうマズルカに感情を入れるか、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」と「英雄ポロネーズ」が両曲とも愛国的感情に溢れてゐるとはいへ前者の凹んだ日々と後者の快楽さは弾きわけられるべきでソナタ2番の悲壮感も欠けてゐたといふ。またショパンづくしのはずがアンコールで「彩雲追月」(誰もが知るこの曲)披露し、そして最後が「革命のエチュード」だつた由。確かに「彩雲追月」は不要。ショパンコンクールから十年、李雲迪に必要はピアノの教師でなく思考上のtutorであらう、と。ランランなら良い意味で演芸として聴けるが、どうも芸風が苦手な李雲迪は周先生の指摘にふむ/\と納得。
▼英国前首相のブレアの自叙伝“A Journey”が英国でエジンバラ大学の「文学評論」誌が選ぶ今年のBad Sex in Fiction Award(拙劣性愛奨)の栄冠に輝いた由。

That night she (Blair's wife) cradled me in her arms and soothed me; told me what I needed to be told; strengthened me. On that night of 12 May 1994, I needed that love Cherie gave me, selfishly. I devoured it to give me strength. I was an animal following my instant.

と確かに「キモ悪い」。米国総統のブッシュも劣悪であつたが英国の首相の立場でブッシュに従つたブレアといふ、この御仁の変態性も20世紀末から今世紀初頭の悪夢。


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