富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Гергиев и Мариинского

fookpaktsuen2010-03-28

三月廿八日(日)晴。早朝から数日分の新聞に目を通す。香港映画祭すでに開幕。開幕上映は台湾の鈕承澤監督の「艋舺」見逃したが劇場公開もあらう。また昼間にブルース=リーの子役時代からの映画上映あり。チケット確保してゐたが見逃しが明日以降も続きさう。今日は科学館で徐辛監督の「克拉瑪依」見る。356分の長篇ドキュメンタリー。1994年に新疆の克拉瑪依の友誼館で当地の教育当局主催の学芸会あり。そこが不幸にも大火となり288名の児童が焼け死ぬ惨事となる。直接の原因は火事だが「学生们不要动,譲领导先走!」(学生は動くな、幹部の避難が先)とした一党独裁。その後十数年、遺族には当局からの死亡証も発給されず追悼活動もなく当局はその後のこの地域の経済発展を強調し問題を有耶無耶に。その遺族を回り証言を集め、と中国で反体制とされる行為がこの作品。「現代日本の革新思想」下を読む。Z嬢と早晩に尖沙咀のIndian Placeに食してから文化中心。香港芸術祭の閉幕でヴァレリーゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管絃楽団。かつてのキーロフ劇場の管絃楽団。この舞台では通常、楽団は舞台をいつぱいに使ふがこの楽団は4mほど後退の位置。二晩続きの演奏会で昨晩はワーグナーワルキューレ(第三幕)あり歌ひ手がゐたのでその位置ならわかるが今晩は歌劇曲もなく単に昨日のまゝの不精とは思へず音響など意図的に考へてのことかしら。初めて。だが音響の著しく悪いこの小屋でこれは意外と音響の改善が期待できる鴨、と思つたら楽団の質もあらうが実際に通常よりかなり音響効果良し。LiadovのBaba Yaga(作品56)が一曲目。ゲルギエフの特徴ある小気味な指揮。続いてプロコフィエフの一番。曲もあつさりとした「古典」だが演奏がちよつとさらりとしすぎ? アンサンブルがきれいにまとまるところとちよつと粗いところがちぐはぐ。どうであれ中入り後のショスタコービッチの七番「レニングラード」が今晩の主要。一昨年の夏、この大掛かりな世紀のプロパガンダ曲をさう聴く機会もあるまい、と香港フィルで聴いたのがこの曲(その日も日記で見たら偶然だがIndian Placeで食事してゐた)。さすがゲルギエフとマリインスキーには自家薬籠中のレパートリー曲。かなり圧倒された第一楽章(アレグレット)。第二楽章のスケルツォはもう少し演歌つぽく唸つてほしかつたかしら。アタシのこの曲の印象よりちよつと更にゆつくりなテンポでの第三楽章(アダージョ)と第四楽章。ソ連政府に媚びた愚作だの饒舌だのと批難もある曲だが対独戦への抵抗、社会主義リアリズムを諧謔的に嗤ひ露西亜の民族性など含め、愚作的なところも可逆的に歴史的評価される作品だらう。この曲を捧げられたスターリンがこの曲を反革命的と感じなかつただけショスタコービッチの成功か。このマリインスキー管絃楽団招聘のスポンサーは東亜銀行で李Baby國寶頭取ご夫妻が主賓。本日が今年の芸術祭の千秋楽で政府からは文革曾舎弟の髭のJohn Tsang財務司司長、小役人の林D9、行政会議首席議員の土共梁、金融管理局前総裁の任総らづらりとVIP席に並ぶ。千秋楽恒例で観衆に三鞭酒のお振るまひあり。十三夜の月を愛で帰宅。
▼本日はガイジンがキチガイ騒ぎ恒例のRugby Sevensの開催日。高松宮杯にSacred Kigdomは出場せずジョッキークラブの算段は狂つたがドバイワールドカップ開催で香港のJoy And Funが1,200mのGroup 3、Al Quoz Sprintで優勝。
▼今晩のゲルギエフとマリインスキー管絃楽団の演奏会に合はせたわけぢやないが昨日に続き丸山眞男、梅本克己、佐藤昇の「現代日本の革新思想」読む。スターリン批判やプロレタリアート独裁などの鼎談のテーマがショスタコービッチ聴くと印象的。地下鉄のなかでこの本を讀んでゐると隣席の輩がふと本を覗き込むと「先進国革命と社会主義」なんて漢字が並ぶのを見てアタシの顔を「社会主義者か?」とちらつと窺ふのが可笑しい。

《重慶晚報》昨在頭條位置刊登「古鴿」神話,但網上內容昨晚被刪。

▼Googleの中国からの撤退で国内では関連報道規制されるなか重慶晚報が廿七日、古鴿にまつはる神話的寓話を掲載。「古鴿」は鳩の鳴き声のやうで文字通り普通話で「谷歌」(Google)と発音が同じ。「古鴿」は米国加州に棲息する搜索隱禽(引擎)で「性格溫順,飛行快速,導航準確,尋物能力強大」で人々に歓迎され世界に貢献してゐるが国内では「帶有劇毒、性情兇狠的猛禽」である犤毒鳥(百度)が古鴿にとつて代はり、古鴿は異常気象や天敵の「河蟹」(和諧)や「蚊祚(問責)蟹」の横行で南遷(つまり香港へ)と。また少なからぬ市民がこの古鴿との別れを惜しみ北京鳥關村(中関村だらう)で古鴿園悼念をした、と伝へる。この記事さつそく当局の指導で網上からも消去の由。
▼タイで発売見合はせとなつたThe Economist誌(三月十八日号)のThe battle for Thailand特集を讀む。タクシン派による反政府運動と王室の今後の不安定。プミポン国王による戦後のこの安泰。もし王がお隠れになれば、の政治危機。20世紀のチャクリー王朝のラーマ六世(1910年王位継承)以降を王室危機とプミポン国王による奇蹟的な王室の権威恢復まで見事にまとめてゐる。皇太子殿下の不人気、その殿下とタクシンの関係、シリントーン王女の皇位継承の可能性、わづか五歳の皇太孫殿下を王位継承者としてのシリントーン王女による摂政制など。いづれにせよ大君が高齢で健康優れぬなかタクシンによる権力奪回が挑まれ皇位継承が問題となり……タイの不隠定が続く。アタシはラーマ八世(プミポン国王の兄君)の不可思議な逝去(日本軍参謀の関与なども言はれるが)からプミポン国王による安泰も全て米国によるもの、と思へてならぬ。反共主義拠点としてのタイの重要性。

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