富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-02-17

二月十七日(水)寒い日が續く。飛行機で一時間のハノイとの気温差が二十五度なのには驚いた。
▼昨日逝去の尹志強(尹佬)は廿年近い抗癌の日々。鼻咽頭癌。この癌は華南で罹患者が多く「広東瘤」とも呼ぶ由(信報)。またエスキモーにも目立つが西洋人には少ないそふ。
▼リチの葡萄酒売れ行き好調か、と思つたら売れても儲からぬ現実。仏伊、西班牙、濠太剌利に続く葡萄酒輸出国第五位で中価格帯から高級種の販売に力入れたいところだが廉価さが売りになつてしまひ世界的不況と主要市場である米国がドル安で輸入振わず昨年はチリの葡萄酒輸出量は前年比0.4%減なのに対して輸出価格では8.4%減で「売れば売るほど損」にはなつてをらぬが儲からぬ悪循環でこれでは上質のワイナリー育たず、と。(信報)
東宝で「嵐を呼ぶ男」など撮つた井上梅次監督逝去。86歳。60年代後半から西本正の引きで香港映画界に進出。邵氏電影で「香江花月夜」(香港ノクターン)や「玉女嬉春」など制作。鄭佩佩、何莉莉、丁珮などが主演。香港では作品より映画業界に馴染めなかつたと聞く。
▼Wharf財閥が欧州の公共交通大手ヴェオリアこちら)に香港トラム経営権全面売却。ヴェ社は環境に優しい市電など公共交通の寡占化に忙しく亜細亜にも進出し昨年だつたかすでに香港トラム発行株の半分を得てゐたが香港のWharfにしてみれば香港の顔のトラムだらうが年間営業額HK$二億で利潤か1%(HK$二百萬)では魅力なし。しかもインフラの老朽化で今後その改善に莫大な投資要しては更に企業としてトラム存続に魅力もなからうがヴェ社にしてみれば営業利益と収益率以上に市電経営の世界最大企業として香港のトラムは「オタク的にも」所有したゐだらう。数年後には都電荒川線もヴェ社傘下かしら。
▼ちなみに香港トラムは1904年敷設で西はKennedy Townから銅鑼湾を結び営業開始、その後筲箕灣まで路線延長、と言ふのだが精確には営業開始当時の東の終点はCanal Rdの鵝頸橋の先まで、で今でこそ銅鑼湾だが当時はそこはまだ地名は湾仔。なぜこゝが終点か、といへばその先はジャーディンマセソン商会(怡和洋行)の占有地。トラムはまさにヴィクトリア市からジャ商会までを結ぶビジネス路線だつたわけで、終点で客を下ろした電車は現在のTimes Square(時代広場)のある車庫に入つていき、その後、ハッピーバレーに営業延長し、ジャ商会が東角(今の銅鑼湾)占有地撤収後にトラムは東に延び今度はSwire商会の占有地(現在の太古城)に向かひ筲箕灣まで延びたもの。まさに英国の香港殖民地政府と英国系財閥との関係がトラムの路線そのもので1974年に地場の包玉剛(Y.K. Pao)の九龍倉(Wharf)がそれを買収。他に当時、Y.K. Paoが尖沙咀碼頭附近の土地、スターフェリーとこのトラム電車を、李嘉誠がWhampoa(黄埔)をば買収したあたりで時代はまだ中国は文革の真つ最中だつたが文革後の、ポスト毛澤東の中国と香港の行き先が実はある程度、見え始めてゐたのだらう、と今なら誰でも言へることなのだが。
ライシャワー博士駐日大使時代の側近ジョージ=パツカード氏(米日財団理事長)が「ライシャワーの昭和史」講談社より上梓で朝日のインタビュー記事。普天間問題も半世紀の日米関係の中では小さな問題、とし核持ち込み疑惑もすでに歴史として明らかなのでこゝに覚え書きせぬ。が「米国との同盟を語る日本の声はいつもあまりに受け身で弱々しい」もので「日本はなぜブッシュ政権イラクに侵攻したとき仏独のやうに反対の論陣が張れなかつたのか」とそりや未来永劫、対米の敗戦国だから、なのだがラ博士が日本について懸念したことは何より「日本人は多分野で高い技能を発揮してゐるのに、こと外国語習得に限つては驚くほど不得手」なことで「日本人は自国を(いゝ意味で)特殊な国だと病的なまでに思ひ込んでゐる」ユニーク病から抜け出せ、日本人論から卒業しろ、と。御意。香港でも日本人で誠実そうな方に限つて「日本は」「日本人だから」とふだん何を話してゐても無口な御仁もこと日本人のアイデンティティになると琴線に触れるのか日本ユニーク論展開してみせるから。

ライシャワーの昭和史

ライシャワーの昭和史

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