富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

《麥田捕手》作者沙林傑逝世

fookpaktsuen2010-01-29

一月廿九日(金)曇。晩に横浜K氏と尖沙咀。河内道のBiergartenで麦酒飲む。その後、今どきかなり煙草の煙臭い某日本料理屋で東莞I君の送別会あり知己の面々で集まるが肝心のI君が仕事の関係で欠席、で単なる宴会となる。帰宅途中、銅鑼湾でバーSに寄りハイボール一杯だけ飲み二更のうちに帰宅する。
▼土瓜灣馬頭圍道の五階建て「唐楼」崩潰。まさに粉々で四人死亡。築五十と五年の老朽化甚だしき建物で政府も修繕勧告してゐたが直接の崩潰の原因は街路に面した廛補の改装で非熟練工がドリルで壁など穿砕作業中に躯体建築の部分まで壊してしまひ亀裂が壁、天井に走り非熟練工ら狼狽し外に避難。十数分の間に亀裂は楼上へと走りあツといふ間に微塵に粉々に崩潰。非熟練工雇ふ狂気の沙汰なり。
サリンジャー逝去。齢九十一。サリンジャーの『ライ麦野崎孝は名譯だが『ライ麦畑で捕まへて』つて題だけはいたゞけない。アタシは『ライ麦畑の捕まへ手』としたい。ハルキムラカミ譯もあるがこの野崎は洗煉されてゐるやうでゐて今読むと「奴さん」とか「どつちも勝ちやしねえつてのよ」なんて捕物帳の岡つ引きのやうなセリフが妙。「ライ麦」が米国での発表は1951年で白水社の野崎訳が1964年とそんなに間があつた、と今日まで気づかず。結局、サリンジャーホールデン少年が大人になつたらどうなるか、を隠遁といふ形で表現してゐたのだらう。荒地出版社から出たサリンジャー選集も書棚のどこかにあるのだがもう十五年前くらゐに読んだつきり。でも、やはりアタシにとつては『ライ麦』と『チボー家の人々』が青春そのもの。どちらも白水社なのね。
▼今日のFT紙にダボス会議での中国の李克強副首相の演説の記事あり。その中にOrville Schell教授のコメントあり。Schell教授は日本ではあまり知られてをらぬが現在はAsia Society's Center on U.S.-China Relationsのディレクターの由。80年代に当時のマガジンハウスのBrutus誌はとんでもなく凄くて、現代中国論なんて全然関係のない読者相手に突然、Orville Schell氏紹介の記事など出てきて(このへん月本故人と話せたら面白かつただらう)と当時新刊だつた“To Get Rich Is Glorious”をアタシは渋谷の紀伊国屋書店で註文して読んだものだつた。まだ天安門事件が起きる前の平和な時代。

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