富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

「戦つてください」

fookpaktsuen2010-01-17

一月十七日(日)晴。Z嬢と西湾河の波止場。10:45だつたかの渡船で三家村。油塘。地名の通り工業団地。沿岸には混凝土、砂など扱ふ問屋の倉庫並び殺風景で殺伐そのもの。休日でトラックの走行など少ないが道路に砂埃り舞ふこと甚し。マスクいつも持参で事なきを得たが平日など歩けたものではあるまい。かつては香港の地場の軽工業担ふ地域の一つだらうが主力企業はこの二、三十年で大埔、元朗の工業団地、更に広東省へと移り、この場末の工業地帯も地下鉄開通で九龍遠東の三等地が地下鉄「油塘」駅前の一等地となり徐々に油塘站近くから地上げと工廠閉鎖が目立つ。油塘站の向かうの高台には団地、マンションが聳え立ち、沿岸の旧態依然とした工場群れに「早く立ち去れ」と罵るばかり。あと数年もすれば湾岸には洒落た商場とレストラン街かしら。さらに沿岸を官塘の方に歩くと茶果嶺。村外れの天后廟に賽す。茶果嶺も古くからの集落だが政府の方針にて厳密に四半世紀くらい前を境に旧存の集落と新移民的な「不法建築」を区別。後者は既得権で暫定的居住こそ認めつ苫屋の立て替へ認めず朽ちれば立ち退き以外の途なきよう。いく筋もの路地を徘ふ。油塘の殺伐とせし工業団地とこの路地の集落があまりに中上健次の世界。リゾームのやうないく條もの路地は健次の小説の態々な物語、場面、その会話や登場する我彼がまるでこの茶果嶺の集落と油塘の工場で繰り広げられる錯覚で頭くら/\。官塘の波止場に出る。かつては賑はひしこの波止場も今では北角との間にフェリーがあるばかりで閑散極まりなし。埠頭前のターミナルは不法駐車場。紅磡に向かふバス、ミニバスを探すがあいにく運行もなくタクシー雇ひ紅磡。午後一時丁度にHarbourfront Horizonの九龍會。先月七回くらゐ送別会あり正月に帰国された今では藤が丘K氏所用で来港で懐かしくもない、と笑ふ。二年前に帰国の阪神N君夫妻も香港の永久居民のID記録更新で丁度来港中につき五人で昼食。食後K氏の車で紅磡埠頭まで送つてもらひ独り北角に渡る。整体按摩。早晩に帰宅。広東米酒(昌源酒荘の玉冰燒)どうにか美味く飲む方法ないか、とソーダ割にしてビターをば振つてみたりするが今ひとつ。やはりクセのある焼酎は臭いまゝ飲むか街角の食堂でオヤジらは麦酒割り。晩に蕎麦茹でゝ食す。
▼小沢忖度一郎君が検察の横暴批難するのも鈴木大地宗男先生が検察の国策捜査と批難するのも佐藤ラスプーチン優氏が「国策捜査ではなく民主党と官僚組織の権力闘争」と指摘するのも解る、が御厨教授までが小沢君が党と自らを一体化し検察と全面対決する姿勢に「愚を犯す」と批判し山積みする課題を処理できぬ政治を空白を招くなら自らに義があらとなからうと国益優先で幹事長職辞任し収拾を図るべき、としつゝ、かつての田中、金丸捜査が安定した55年体制での永久政権政党の絶対的権力者の金脈と不正追求し腐敗防ぐ役割を果たしたとしたら今回の検察の捜査は小沢君の旧自民党的体質=手段の部分だけに著目し政治と社会の変革といふ目的の部分を意図的に無視したもの、と指摘し小沢一郎を追ひつめ「検察はこの国をどうしようとしてゐるのか」とまで言及(朝日)。アタシは検察がそんな政治情況判断した上で調査の塩梅を考へたとしたら、それこそ怖いと思ひ御厨先生も権威とチヤホヤされ何だか指針がズレたか、とすら心配。寧ろ自民党だらうが民主党だらうが怪しい金脈にメスをいれてこそ検察だらう。今回の検察の執拗な切り込みについて官僚構造をば破壊した民主党への官僚側からの一矢なんてワケのわからぬ形容もあり。どうであれ日本の政治はどうしやうもない、が一番理解不能鳩山首相の「戦つてください」のその一言。アンタは何者だ(宇宙人なのは知つてゐるが)。これを検察批判ととる向きが目立つが「突き放し」のやうでもあり。海老蔵君が新之助の頃、隠し子騒動で「おなかに子供がゐて(彼女が)生みたいといふので、どうぞと言ひました。私は結婚を考へてゐませんが、それでもいゝですかといふと、いゝですと言はれました」みたいな。いづれにせよ鳩山四世の真意は読み取るに難し。

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