富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-12-14

十二月十四日(月)曇。あれだけ予選から低調であつた東アジア競技大会は香港が中、日、韓に次ぐ金メダル獲得で殊に蹴球が決勝でPK戦となり日本下し奇蹟的金牌で閉幕の頃になつて突然、話題沸騰で関心高まる皮肉。早晩に金鐘のIsland Shangrila Hotelに往く。御門の天長祝賀の会あり。文革曾行政長官が正客。終はつて銅鑼湾。バーSにより独酌のつもりがM教授らいらつしやり暫し歓談。十時過ぎ帰宅。雑誌「東京人」十二月号「永井荷風の愉しき孤独」で「成島柳北荷風。」なる一文あり(伊藤榮洪)。柳北といへば柳橋新誌だが、その伊藤氏の記述のなかで「橋以柳為名(橋、柳を以て名を為す)」というように漢文書かれたものである。荷風がこれに親しんだというのは、彼に相当の漢文の力があったことがわかる」なんて書かれてゐる。当時、知識人といはずとも多少の学のある人なら普通に漢文は読めたわけで柳北のこれが読めたのは「相当の漢文の力」ではなく普通だらう。それが漢文が読めるといふだけで「相当の漢文の力」と思はれてしまふことぢたひ明治は遠くなりにけり、かしら。ちなみに柳橋新誌はアタシも昔、岩波文庫(書き下し)で読み何年か前に和綴ぢの原本(漢文)を覆刻版だが入手したくらい。そのうち露伴、一葉が「原書で」読めるだけでも相当の古文の力があつた、なんて言はれる時代になるのかしら。

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