富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿一日(土)気温摂氏十二度。昨日午後よりOxfam Trailwalkerの100km始まつたが何年に一度か寒い開催年もあり2002年だつたかアタシの二度目の参加の年も寒かつたが今年は異常。昨夕より風もあり山岳地帯はまさに極寒だらう。未明には大帽山で気温摂氏三度だつた由。ちなみに今年の一位は昨晩二更に十二時間十七分で人民解放軍の駐港部隊精鋭隊が完走。英国軍のグルカ兵が鍛錬のために組んだコースで当然のやうにグルカ兵隊の独擅場。そこに香港の消防隊やCosmo Boysといつたチームが果敢に挑んでゐたものだが英国軍グルカ兵から中国人民解放軍へ、つてのが時代の趨勢か。BBCのチャンネル三のクラシック音楽放送聞きながら午前中は書室で書類整理。マーラーの「大地の歌」をCleveland OrchestraでFranz Welser-Mostの指揮、Jonas Kaufmann(テナー)とChristopher Maltman(バリトン)で聴く。ところで中文で音楽関係の記事など読むのに一番苦労するのは作曲家や指揮者の名前の漢字表記。だが慣れてくると拉威爾の達夫尼斯與克勞伊第二組曲とかが読めるのは意外とヤンキーの「夜露死苦〜!」と同じレベル。だが突然、阿巴度(アバド)率ゐる琉森音樂節管弦樂團が北京に、と言はれても琉森がスイスのルツェルンとさつと解せず杜達梅爾といふ名も初見で一瞬「誰だ?」と退くが委內瑞拉(ベネヅェラ)とあり、あ、ドゥダメルは杜達梅爾なのね、と解る。こんなことの繰り返し。本を読んでゐるつもりがついYouTube海原やすよ・ともこの漫才などにも嵌る。夕方遅くZ嬢と中環。オリンピアグレコで珈琲豆、英国婦人の営むベーカリーでスコーンなど購ひ粗呆區抜け骨董品屋など冷やかし上環。林奇苑に普洱茶購ふ。Bonham Strandの Monsiur Chattéで葡萄酒二本購入。無謀にも、その名もLadder街(樓梯街)一気に上りCaine Rd、京香餃に夕餉を食す。
▼エマニュエル=トッド氏の「予言」(朝日新聞文化欄、樋口大二記者)。米国の衰頽と世界金融危機の到来予見したトッド氏は今後、自由貿易体制による経済危機の深化が先進国の民主主義を脅かす、と。間違ひなからう。左派も右派も同じやうな経済政策しか打ち出せず(英国労働党のブレア前首相の保守性など)選挙は見せかけの左右対立。どうであれ個人の自由であるとか貧困解消のための平等であるとか削られるはず。ところで記事に「イデオロギーの終焉といふ一種の無気力情態が出現したために、仏蘭西の平等主義、米国の人種差別など、各国の政治的伝統とは異なる政権が誕生したのだ」とあり、ちよつと意味不明。仏蘭西は平等主義が伝統してあるのにサルジコのやうな平等より競走を!みたいな人が、米国では現実に人種差別があるのに亜弗利加系の、それぞれ総統が生まれたこと。前者(仏)は否定的、後者(米)は肯定的な意味で(伝統といふよりは)政治的風土?から逸した、といふこと。トッドに詳しい友人の話でによれば英国は核家族で親子関係は自由だが、兄弟関係は不平等(長子単独相続)なのに対して仏蘭西は同じ核家族だが親子関係は自由、兄弟関係は平等(均分相続)。仏蘭西では平等が重要な政治イデオロギーになつたが英国のアングロサクソンの文化では平等にはあまり関心は払はれず、自由が至上の価値となつた。で、英国からの移民によつて成立した米国で、なぜ平等が建国の重要な価値観となつたか、でトッドはんが注目したのが人種差別の由。米国には構造的に黒人やインディアンを劣位の存在として差別することにより「白人のなかでの平等」を確保。英国に対抗して独立を勝ち取らなければならなかつた白人移民の共同体内では平等が必要。だが社会全体が平等でなければならないとは彼らは考へなかつた。経済的に必要とされた黒人奴隷が「平等の理念に反する」といふ発想自体が米国に生まれなかつたのはそれゆゑ。奴隷解放後も黒人は劣等なカテゴリーとして安価な単純労働力の供給源として必要され「平等な白人共同体」を守る外部の存在として政治的社会的にも黒人差別が必要とされてきたのが米国、と。つまり人種差別は米国にとつて「大きな美点の中の小さな欠点」なのではなく、社会の構造の中に埋め込まれた本質的な構成要素なのだ……とひつたトッドはんの見立ての由。

デモクラシー以後 〔協調的「保護主義」の提唱〕

デモクラシー以後 〔協調的「保護主義」の提唱〕

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