富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-09-22

九月二十二日(火)今日の午後には大陸も北から冷気が南下、と天気予報。夕方からたしかに涼風来る。今日も燈刻に自宅界隈走る。山に入るのなら水筒は必携だらうが市街地だと公共の運動場や蹴球場などトイレ&更衣室施設には水飲み場があり(これが不衛生と嫌ふ人も少なからず)。陋宅の戸鍵を握るだけで走りに出られるが、たゞ燈刻ではまだ仕事中の方あり携帯への電話に「走つてをりました」も顰蹙だらうと携帯携へるも何だか……と走る途中にナイキ商店に寄り携帯収納のアームベルト購ふ。夕餉は鮭の炊き込みご飯。昨晩に続き白洲次郎のドラマ呆眺。劇中で終戦間際に釈放された臣茂曰く戦に負け「誇りある国の再建」と。戦時中は八紘一宇に狂ふ者以外は、次郎は百姓に精を出し、加藤周一は軽井沢の隠遁し……と「なぜレジスタンスが起きなかつたのか」が日本の根本的問題。近衞文磨は戦犯に指名され服毒自殺の際に遺書で支那事変への突入を過誤と自責こそすれ一国の首相たるもの一切の誤謬も許されぬはず。誰彼もどこか甘さばかり。白洲正子が師事する青山二郎役の澤瀉屋亀治郎君)の演技、「何か形が見えることと物が見えるつてことは別のことだ」といふ台詞、過剰な演技の役者にこそ言へることだらうに。白洲正子につき否定的な見解のアタシに対してZ嬢が、どうであれ川瀬某なる華道家を世に出したり山本寛斎のプリーツフリーズ?だか繊維商品を宣伝したり、とその好みはどうであれプロデューサーとしての才能はあつたのでは?と。なるほど。
▼大江志乃夫先生逝去(二十日)。八旬。大分のご出身だが水戸で茨城大学にて長年、左翼的立場で歴史学教へられる。水戸が学問の都市であつた最後の学究の徒。水戸といふと水戸学の流れから桜田門外の変から五一五事件まで(狭義での)右翼思想と思はれるが然に非ず。水戸徳川家は明治以降、農耕に立脚した社会互助団的に(見方によつてはマルクス以前の英国の早期社会主義的な)土著の社会改革を行ひ、明治の自由民権運動であれば飯村丈三郎翁、大杉栄からエドワード=カーペンター、クロポトキンを知りアナーキストであつた橘孝三郎は(これは畏友J君の専門だが)農本主義から更に彼方を見て井上日召から五一五事件に至り、また旧制水戸高校は左翼と右翼が入り乱れ江戸秀雄や赤城宗徳(絆創膏の祖父)、宇都宮徳馬後藤田正晴、安東仁兵衛、舟橋聖一小林直樹鶴見良行……とまぁ人材を輩出し何といつても梅本克己先生の社会主義哲学が水戸で生まれてゐるのだから。国粋主義の右翼からマルキストまでうぢやうぢやと共住し思想があり芸術があり音楽があり……大江志乃夫先生のあと水戸の思想、学問はどうなのかしら。本来であれば佐川一信氏の建立した水戸芸術館もさうした風土の中に位置づけられるべき施設だつた(must beの意味での「だつた」)のだらう。

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