富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-15

八月十五日(土)終戦紀念日。快晴酷暑。だが夏支度で木陰歩けば心地よい。昼過ぎまで御執務。午後に整体のあと香港電影資料館で費穆(監督&編劇)の映画『孔夫子』観る。孔子役は唐槐秋。日本軍の侵掠に1937年陥落の上海、翌年、プロデューサーの金信民、俳優の張翼と費穆監督が香港に避難してゐた縁で日本軍統治下の上海で1940年に撮られてゐる。占領から内戦で多くの映画とともにこれもフィルムが遺失してゐたが奇蹟的に半世紀後に香港でフィルム発見され、たゞし当時の常で硝酸セルロース使つたナイトレート・フィルムで劣化ひどく香港電影資料館が伊太利の専門機関まで提携しフィルムを復元。何ヶ所か音声がないものゝ当時の上海映画界では巨篇といへる内容の87分の本編と他に9分の未収録部分を上映。同館では戦後の香港国語映画代表する女優・林黛(1934〜1964)の電影放映暨文物展開催あり人出多し。林黛は父が国民党の広西派閥の軍人・李宗仁の秘書で国民党台湾退避後に香港に居留。1964年に29歳の若さで自宅で瓦斯自殺。一昨年、夫の死後、彼女の死後、自室が一切手を入れず調度品から化粧品、メモ一枚の類ひまで全て生前のまゝ保存されてゐたことが公になり一粒種の息子がその全てを電影資料館に寄贈し整理され今回の公開に至る。帰宅してミントの葉を摘みモヒートつくり呑む。晩に水炊き。暑いのだが冷房もつけず汗をだく/\とかきながら頬張る水炊きが美味い。泡盛・菊之露呑む。文藝春秋九月号讀む。文春にとつて自民党政権の終りは一大事だらうがこの号では民主党の脆さの検証に留めてゐるのは次(民主党政権)の次に控へる政界再編があることを期して、だからだらう。芥川賞選評で「作家の」石原慎太郎が「年ごとに駄作の羅列に終はつてゐる」「彼らは彼らなりに、こちらは命がけで書いてゐるのだといふかも知れないが、作品が自らの人生に裏打ちされて絞りだされた言葉たちといふ気は一向にしない」と言ふ。その慎太郎さんに「的が定まつてゐない」と云はれた受賞作・磯�憲一郎「終の住処」讀む。つひに中学生男子!ぢやなくて今回は三井物産の会社員作家。自家製の檸檬グラス水にCointreau混ぜて呑んだら、これが美味い。
朝日新聞の連載「検証 昭和報道」8・15朝刊の謎、が面白かつた。昭和廿年の夏、終戦を間近に控へた朝日新聞玉音放送を待ち遅れて出す八月十五日の朝刊に予定稿を用意する。末常卓郎記者。敗戦といふ未曾有の事態で「民草がとるべき正しひ態度」=徹底抗戦に走るのではなく天皇や軍部の責任を問ふでもなくひたすら泣いて不忠を詫びる、その姿勢(まつたくこれだから困るのだが)。さらにアタシらがよく知つてゐる終戦皇居前広場で首を下げ土下座して「お詫びする」民草の写真も実は宮城前広場は雑然としてゐて土下座してゐる人もゐれば宮城に背を向け歩いてゐる人もゐる。土下座する皇民は現実の風景でなく「あるべき光景」だつた、と。宮城を拝して涙、も然り。
▼九月歌舞伎座高麗屋vs播磨屋兄弟ガチンコ勧進帳について。築地のH君は配役を逆にして高麗屋の富樫と播磨屋の辨慶で見てみたい、と。台詞といひ所作といひ一枚も二枚も上手な辨慶に嫉妬心を燃やしながらも我が子可愛さについ/\義経を通してしまふ富樫。その複雑な心の葛藤を高麗屋一流の心理描写で見せる。どうでれ辨慶と富樫が口論になつてしまつて義経が「お父さんも播磨屋の叔父さんも、まぁ少し冷静になつて」と割つて入るやうな芝居も面白さう。松竹もこれくらゐやつて「さやうなら歌舞伎座」盛り上げてみては? それにしても歌舞伎座正面の「あと243日」だかつて看板、ありやみつともない。しかも最後はカウントダウンできるやうにデジタル時計までついてゐる。さすがにオリムピックぢやないので今から243日と18時間46分20秒とカウントダウンするのはやりすぎ、と思つたか現在の時刻表示で時計の役割こそしてゐるが。芝居の中身でなく歌舞伎座の建物の話題性で一年以上も前から賣らうとするところが松竹らしさ。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

文藝春秋 2009年 09月号 [雑誌]

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