富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-13

八月十三日(木)雨。さすがに疲れてゐたか目が覚めたら午前七時半。某カルト系キリスト教団体の邦人信者が布教でアタシの陋宅にも。押し売りも甚だしく不愉快極まりなし。勝手に自分で仕合せになつてゐれば好し。他人に干渉するべからず。殊にアタシ對手に布教するべからず。ところで、ふと気になり確かめるとライカ製のレンズ(つまり今回お買ひ上げのノクトン 50mm F1.1は含まず)が手許に八本あり。なぜこんなに、いつのまにか増殖したのか赤瀬川原平さん的に不明朗。M型はRD1sでもつぱら使ふエルマリート28mm、ズミクロンの35mm(所謂「八枚玉」)、沈胴式のズミクロン50mm、現行のズミクロン50mm、ズミルックス50mm(初代)、エルマリートの沈胴式90mmの六本、L型がエルマー35mmとズマロン35mmの二本。50mm F1.1なんてレンズを入手しちまつたので今までもあまり使つてゐないズミルックス50mmの出番は更になくならうし90mmも手放しても惜しくはないので馴染のカメラ商訪れ賣りに出すとノクトンの購入価格に近き額を回収。ホントは澤山のレンズたちに囲まれて(ムーミン谷のニョロ/\か草間彌生の突起物のやうだが)そのなかで過ごしたゐのだがZ嬢の手前少しでも財政負担減らす上で多少の「痛み」も致し方なし。それにしてもライカのレンズも稀少価値ある一部を除けばデジカメの時代に買ひ手も需要も減るか、で価格下落あり嬉しいやら悲しいやら複雑な気分。で商談成立でいたゞいた現金を銀行に預け、かなり久々に伊太利料理のLa TavernaでZ嬢と待ち合はせ夕餉。食後に香港文化中心で夏恒例のAsian Youth Orchestraの演奏聴く。芸術監督で指揮は洒脱なRichard PonziousさんでBarber(この作曲家をアタシはどうしても「バーバー」と呼びたくない。せめてバルベルなら良いのに)「絃樂のためのアダージョ」とラヴェルボレロ。中入後はラヴェルゴジラゴジラゴジラメカゴジラ協奏曲(ピアノ協奏曲ト長調、ピアノはJean Louis Steuerman)とストラヴィンスキーの「火の鳥組曲(1919年版)。10代の若者のオケだと思ふと「絃樂のための」は見事。これをもつと音響の良い小屋で聴けたら、と思ふ。十代の若造にこのソロは「そりや酷だよ、親ッさん!」と泣きをいれたいボレロ。とてもゆつくりな演奏は(翌日の朝のRTHKのFM番組で)指揮者自身が「ボレロはゆつくり演奏する方がむづかしい」と講釈されてゐたが、やはりある程度の速度がないと張りつてものがない。だが敢へてゆつくりなのは「まとまらない」からでなく「合奏する呼吸」を若い奏者らに身につけさせるため、の修業と考へるべきだらう。いつも主だつた演奏会で遭遇するアタシらが「マエストロ」と呼ぶ爺さんがゐる。いつも気軽にシャツに半ズボン姿で最上席で独り演奏を楽しむ御前様。昼間でもマチネとか香港文化中心の中をふら/\。オペラ座の怪人ならぬ文化中心の老人。今晩は今一つ御前様の表情が冴えず。慥かに去年や一昨年に比べるとちよつと。絃樂は、ことにヴァイオリンは「絃樂のための」で見せつけられた上手さだが誰でもそこ/\音の出る木管(といつたら木管奏者に叱られさうだが)金管、とくにホルンが難しい。同じ例へば十七歳でもヴァイオリンとか芸歴は十四年くらゐだらう、が金管とか数年でも不思議でない。十代だとさういふ芸歴も許すべき。ラヴェルの「ゴジラ」もフツーならシンフォニエッタや地方オケの定番だらう、がこの曲の諧謔性ッてんですかね、それがやつぱり子どもには難しい。「火の鳥」に至つては言を要すまい。バレエ音楽は演奏だけは一流のオケとてつまらない。今晩の曲目はちよつと狙ひ過ぎ。アンコールはたぶんラヴェルの管弦小曲。明晩はブラームスの四番、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番にチャイコフスキーフランチェスカ=ダ=リミニで、こちらの方が当たり外れは、ないかしら。
▼六本木山荘森美術館で展覧開催中の艾未未氏が四川省成都環境保護活動=人権運動=反政府運動=国家政権顛覆煽動罪(……となるのだ、中国では)とされた活動家の裁判で被告側証人として出廷しようとしたところ公安当局の監視下に置かれたことは昨日綴つたが香港のテレビ局クルーもその取材に出向いたところ「麻薬所持嫌疑」で投宿先のホテルの部屋を家宅捜索され事実上の裁判取材妨害を受けた由。信報の今日の社説曰く重要な国家行事が近づくと(今回は建国六十周年)様々な手段で「雑音」を消し外国要人の訪問などの前に「清場」する、それが反政府活動ならまだしも大地震での手抜き工事による建物崩潰の事実究明や環境保護や土地接収など民生問題でも神経質になり海外メディアの報道規制までする、これでは法治国家とは到底云えぬだらう、と。ところでチヨートク先生のブログ日記讀んでゐたらアタシが登場。それはそれは嬉しいがアタシは見逃したが艾未未の「一頓のお茶」(リプトンぢやないよ)の現物は森美術館の中だが宣伝用にそのオーナメントの写真が六本木山荘の下界にあるさうで(長徳先生撮影)ビル管理用の裏方への入り口なのかしらドアの把手がついてゐゐて「まるで、お茶の葉で出来た来た金庫」 「意図しないで、別の存在になつてゐるのが秀逸」「まさか南條さんの差配ではあるまい」(Ⓒチヨートク先生)。美術館に収納されたモノホンよりこつちの写真に撮られた贋物の方が面白い。これこそコンテンポラリーアートだらう。これでビル管理会社の職員がこの扉を何気に開けると中からお茶の葉がドヽーッと出てきて茶葉に埋まつてしまふ、つてそんな予定調和的なコントはアタシ好み。
艾未未の話に續くが、さういへば先週末の朝日の読書欄で誰が書いたか書名も失念したが、中国共産党は党内の権力闘争の熾烈な印象強いが現実にはサラリーマン社会で社内の出世競争で勝ち抜いたエリートが実権を握り胡錦濤が会長で温家寶が社長といふ会社組織と思へば理解しやすい……といつた分析を讀んだ。言ひ得てもいるがその会社組織こそ実際に熾烈な権力闘争の組織体と思へば五十歩百歩だらう。違ひといへば会社存続のために他社なり競合對手をどこまで潰れるか、で中共が民間企業に勝るくらゐかしら。
▼消費税免税品の国外持ち出しについて。以下、忘備録。一萬円で五百円の消費税ならまだ目をつむるが10カメラ円だと五千円の消費税で五千円くらゐあれば付属品くらゐ買へてしまふと思ふと対費用効果も小さからず。でカメラ購入の際に旅券持参で消費税免除だかの書類を書いてもらひ消費税免税。書類には入国日の記入欄あり書類の写しは旅券にホチキス止め。で成田空港で出国手続き手前の暇さうな税関櫃台で報告し旅券見せてその書類写しを渡す。一応、免税品は持参する規則でレンズを見せるがちよと袋を覗きこまれただけで現品確認なしの形式的。カメラ屋から当局に呈出の伝票とこの写しが照合されれば間違ひなくこの品物は海外に持ち出されました、でチョン。だが気になるのは
・非居住者の海外持ち出しで免税としておきながら持ち出さず。
・持ち出したが旅券に添附の写しを処分してしまひ空港で申告せず。
プラハなど海外に頻繁に出る写真家が非居住者だと名乗り銀座で免税でカメラ購入。
・税関で見せるのが面倒で預け荷物に非課税品目を入れてしまひたい、あるいは入れてしまつた。
といつたこと。税関職員があんまり暇さうだつたし昨日の成田空港はてつきり夏の海外旅行繁忙期で芋を洗ふやうかと思つたらさにあらず(もうみんな海外脱出した後だつたらしい)件の職員にさすがに疑問の四つ目(預け荷物に非課税品目)のみ尋ねてみる。他三つの質問は聞けば本音とタテマエで答へに窮するだらう。「原則は機内持ち込みで通関してもらひますが大きな荷物だのさうは言へませんので搭乗手続きの際に航空会社のカウンターで言つていたゞければ我々の職員が出向いて荷物を確認させてもらひますので」との事。十年くらい前にパナソニックのLP用ターンテーブルをば非課税で手荷物として通関したアタシとしては、この税関当局のサーヴィスはありがたい、が、やはり大物で十萬円くらひが常識的な線だらう。五千円の香水一つを預け荷物にいれるから、と搭乗手続きの際に税関職員呼んでゐたら搭乗手続きは効率悪くなり皆さまの迷惑。結果として海外持ち出しの免税は「控へめに」「グレーゾーンがいくつかあるが目をつむつて」が現状なのだらう。
▼日本の総人口が前年比0.01%増は自然増減では45,914人減だが海外への転出入等による社会増減が55,919人増の結果。後者は2003年(きつとSARSの影響だらう)に次ぐ多さで不況による海外からの撤退がひゞいた由。
徳永康元著『ブダペストの古本屋』(ちくま文庫)より書き抜き。劇作家のモルナール(1878〜1952)について。「リリオム」の劇。リリオム役といへばチョルトシュ。ユリ役はヴァルシャーニ。彼女の死後、チョルトシュは二度とリリオムの舞台に立たぬと誓ひ一生涯それを守る。リリオムの芝居は日本では昭和二年一月に築地小劇場。リリオムは友田恭助。ユリは山本安英ホールデン東山千栄子。昭和八年の劇団築地座は飛行館でリリオムは同じく友田、ユリは田村秋子、ホールデン杉村春子。モルナールといへば他に「パール街の少年たち」。これは邦訳は1978年の少年少女世界文学全集(第19巻)にあり。モルナールの回想録『亡命生活の道連れ』にモルナールがラインハルト(つてナチス独逸のラインハルト=ハイドリヒ?)に誘はれ巴里に遊ぶ話あり。ディアギレフ率ゐるバレエ=リュス。その「牧神の午後」初演!とそのあとの騒動にモルナールは居合はせ人気絶頂だつたニジンスキーの私生活にかなり異様な印象受けた由。その話には若きコクトーも登場ださうで想像しただけで愉快。また著者(徳永)はバルトークの奏でるピアノのバッハを讃へ1965年の訪独ではボンに留学中の田中克彦氏に車で古本屋に案内されせる話など逸話いくつもあり。

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