富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-03-21

三月廿一日(土)未明に蕁麻疹の痒みに目覚めまんじりともせぬまゝ夜明け。朝刊読んでゐて、ふと残したヒドロキシヾンなる誘眠薬呑めば良かつたと後悔。春雨空濛。右手、肩、背に酷い蕁麻疹は「医者に行かう」と思ひ、納豆と焼海苔に味噌汁の朝食が薬膳効果?で治まり始めるが念のため朝イチで近隣のC医師の診療所訪れ診断を請ふ。ストレスと疲労、で休養が一番、とC医師。蘋果日報に、米国でレーガン元総統の執務御用撮り続けたPete Souza氏の写真の内にレーガン君がモスクワ訪問の際の写真でこの反共総統の近くに写る環境客姿の男性が、実は若き頃のプーチン君ぢやないか?と話題になつてゐる記事あり。この時、この若いソ連国民は亜米利加の人権問題などレーガン君に問うた由。それがプーチン氏の当時の特殊任務だつたのか、などと報道されてゐる。それはそれで良い、として、この写真にあるプーチン氏がいかにも観光客然として首から下げてゐる、このカメラはフェド? さらにもう一台、これは何なのかしら。……と思つて、ふと田中長徳氏はこれをご覧になつたかしら?とメールを差し上げたらすぐにご返事が。しかもプラハから! 田中氏曰く、拝見したところカメラは1970年代のゼニット。これは大衆的な一眼レフ。でプーチンさんの「ツーリストコスプレ」での失敗は首からぶら下げてゐる露出計、レニングラード製のレニングラード。ちなみにレニングラードといふカメラについては同氏の『銘機礼讃3』で読ませていたゞいてをります(直筆サイン本)。……でこゝからチヨートク先生の「なにがプーチンが自然ぢやないか?」の大変可笑しい、興味深い話をメールで知らせてゐたゞゐ\いた。がこれはチヨートク先生がきつと何かに書かれるでせうから、こゝでは伏せて。そればかりか夜中のプラハでアタシの拙文の日剰を「読み出したらとまらなくなりました」とチョートクカメラ日記にリンク貼つてゐたゞく。ほんの5分走つて百年ぶりにジムでトレッドミルで一時間、それも6km/hつて歩くも同然だがこゝ数ヶ月また耳の三半規管が失調しゐのか、人間として、なのか平衡感覚が欠け鳥渡ふら/\するからゆつくり、走る。天后の華姐清湯腩で腩河を昼に食す。銅鑼湾に按摩。帰宅。昏刻、Tokyo FMFM東京を今はかう呼ぶらしい)のSuntory Saturday Waiting Bar AVANTIでアタシの喋りが流れた(だらう)。がPodcastでは聴けず。陋宅書室にて机まわりの諸事片付けドライマティーニ二杯。晩にコロッケを揚げる。コロッケを揚げても白飯で腹一杯にせぬ、コロッケとキャベツ千切りだけの所謂、大人喰ひ?なので赤葡萄酒も佳いかしら、とコロッケならLos Vascosで良いでせう。コロッケをソースがちやうど切れたので、塩やマスタード、将又サラダドレッシングでいくつも、いくつも食す。イングリッシュマスタードがいちばん美味しかつたか。NHK大河ドラマ的には織田信長もきつとコロッケを赤葡萄酒で頬張つたかしら(嗤)。テレヴィジョンつけるとNHKで「日本の、これから 放送紀念日特集「テレビの、これから」なる題目からして面白くなささうな特別番組。出演者のうち元コピーライターなどは厭ひつゝアタシは今井義典氏(日本放送協会副会長)は尊敬する、が番組としては面白くなささうでビデオテープ漁ると正月(太陽暦)の新春能舞台の録画あり「高砂」と「船辨慶」を見る。勿論、能にはとんと疎いアタシは畏友村上湛君の「能の見どころ」を手許に。見終はつてFMラジオつけるとRTHKのChannel-4でハイドンのセロ協奏曲(イ長調)が流れてゐる。香港シティチェンバーの一月八日荃湾での演奏録音。昨晩の「おくりびと」もやはりハイドンやバッハ「だけ」で良かつただらうに。奈良のT君からゐたゞゐた京の若菜屋の栗菓子。ヒドロキシヾンを服し暫くして寝入る。
▼前述の今晩のTokyo FMAvantiの番組のサイトで須田鷹雄さんの話から、マカオのフェリー波止場近くの老舗カジノ、回力娯楽場の「回力」がイスパニアのギャンブル系スポーツ「ハイアライ」の意だつた、と今になつて知る。須田さんの話、勉強になることばかり。
▼映画「おくりびと」について。敢へて言へば「単に」死に臨む人々を描いた映画。もちろん死と対峙するから大変なこと、で物語にし易いだらう。だが大切なことは人の生病老死といふ運命は世界中の誰にでもあることで世界中の誰もが、そこに哀しみや怒り、故人への感謝などを感じること。だから、さうした生死感は「日本人だけぢやねーんだよッ!」。それを中曽根大勲位単一民族観や、あるいは紀尾井町の廃刊間近のかつての「諸君」に象徴される「日本ならでは」の生死観にしちまふことの浅はかさ。そこで新宿矢来町の「新潮45」も「『おくりびと』と『納棺夫日記』 300万人が泣いた!世界が日本の「死」を理解した日」なんて(青木新門氏)感動記事が出来てしまふ。子どもの頃から、テレビで例へば「この木何の木気になる木」の「すばらしき世界旅行」であるとか「兼高かほる世界の旅」とか良質の世界の民族生活のドキュメンタリーを見てゐれば、どう考へても「おくりびと」の死への対峙が「日本人ならでは」なんて感慨がdemagogueryであることは明らか。パプアニューギニアでもタンザニアでも共産圏のチェコでも人が死にその死を尊厳として祀り……は世界中同じ。それを、かうして「たかだか」死が日本人としてのアイデンティティナショナリズムに結びつく、といふか、さうしようとする怖さ。映画製作の当事者にはそこまで意図はなからうが、周囲が、ね。
羊頭狗肉とはまさに、これ。香港の地場の「撮影雑誌」誌の三月号。昨夕、地下鉄に乗る際に表紙にLeica M8.2が写り時間潰しに読まうか、と買つてみたら、なんと表紙広告でM8.2に関する記事は、一切なし(笑)。この雑誌、だから買ふと期待外ればかり。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/