富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-03-11

三月十一日(水)毎日どんよりと惨憺たる思い、重い雲のせいで僕は憂鬱だ。なんだか気になりだすと背中や肩、脇腹がむず痒くなって、蕁麻疹が僕の身体を這っていくような感じがする。そういえばジンってもともと医薬だったよね、と少しでも蕁麻疹よ、治まっておくれ、とジンをぐっと飲むのだけれど、Z嬢は「あーあ、まったく」と僕のアルコール依存症を蕁麻疹より心配してみせる。これも蕁麻疹が少しでも癒えるかしら、と僕はカラヤンの38枚組のCDからベートーヴェンの3番「田園」をBOSEのスピーカーから少し大きな音響で聴く。そして文藝春秋の4月号で村上春樹の「僕はなぜエルサレムに行ったのか」のインタビュー記事とエルサレムでの彼の受賞講演(英語のやつ)を読んだ。僕はこの作家のこの受賞を肯定はしない、だけど辞退すべきだった、と否定もしない。この作家なりに考えた上での受賞だったのだろうし、彼が出来得る精一杯の行動なのなら。だけど村上春樹という作家がこのインタビューの最後で、自分たちの世代が若い頃に左翼運動に燃えて、それが企業戦士となって働き続け、還暦を迎える今、何か出来ることは……みたいなことを言っていることに、中谷巌さんというエコノミスト新自由主義から決別と転向を声だかに言っているのと同じような、どこか釈然としないものを感じる。若い時は安保だとか好き勝手をやって、で今度は企業で好き勝手に働いて、で還暦で少しでもまた社会を変えたい、ってムシがよすぎないですか、って。勝手すぎませんか。その人たちはそれでよいけど、その次の次、くらいの世代の若者たちはもう何も好き勝手できないようなところに追い込まれてしまっている。僕はどうしても、オジサンたちのそんな勝手が気になる。もっと上の世代だって、言わせてもらえばもっとひどい。同じ文藝春秋に「教科書が教えない昭和史」なんて特集がある。「あの戦争は侵略だったのか」だなんて、なんでもう何十年もこんなことにこだわっているのだろう。侵略だったか侵略じゃなかったか、勝てば官軍負ければ賊軍、で加害者としてさんざん罪滅ぼしさせられるのは当然の報いだし、だから原爆投下の米国の責任が問われないのでしょう、それより日本のあの戦争は侵略だったか、そうじゃなかったか、なんて陳腐な議論より、作戦としても戦略としても計画の最初から失敗したものだし、もし戦争に勝ったにしたって、日本が大東亜共栄圏なんてのを経営するだけの器量がなかったこと、そんなことがどれだけ無謀だったか、そんな無謀なことをしたことじたいが失敗。そんな失敗が明らかなことに突き進んだ浅はかさを猛省すべきで、それが侵略戦争だったか否か、なんて、僕はそんな表現は好きじゃないけど、こういうのを聞くと「臍で茶を沸かす」なんて言葉を使いたくなってしまう。なにか精神安定剤がほしくなって、僕は本棚からちょっと前に買っておいた樋口陽一先生の『ふらんす 「知」の日常をあるく』平凡社を読もうと思った。樋口先生の比較憲法論、日本国憲法の普遍法としての意義とかとても敬服して読ませてもらってきたけど、正直なところ、この『ふらんす』はちょっと言いたいことがある。まだ少し読んだだけなので、これについては、また別の機会に何か感想を書けるかもしれない。村上春樹を読んだら、なんか僕までハルキの登場人物になってしまったような気分だ。

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ふらんす―「知」の日常をあるく

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