富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-12-21

農歴十一月廿四日。冬至。だけど気温は摂氏廿四度。強烈な陽射しに汗ばむほど。第14回目のKadoorie Brothers Memorial Raceありバス、電車、タクシー乗り継いで朝九時すぎに新界の嘉道理農場。夏以降の完ぺきな運動不足で、いきなりこれに参加とは我ながら無謀。昨年も参加のZ嬢は今年は余の応援に同行。ゴールは観音山。一昨年の同大会でご一緒したO氏は翌年の春にランニング中に心臓発作で急逝された。標高80mくらゐから580mまで6kmで走りのぼるのだから過酷。といつてもかなり歩くが。で51分で到着。まぁ夏のやうな陽気。Z嬢と毎年のやうに農園の急坂を下り麓へ。上りと下りで先に来た路線バスが元朗行きだつたので元朗へ。冬至が日曜日に重なり元朗は芋を洗ふやうな賑はひ。午後1時開店の紐育グリル、準備中なので様子伺ふとすでに爆満で待ちようなし。大栄華なんかも平日だつて冬至ぢや大忙しなのだから。で大橋近くのそのへんの茶餐庁で昼を済ます。天后行きのバスに乗り込んだら寝入つてしまひあッといふ間に銅鑼湾。そごう百貨店の旭屋書店でカメラ雑誌受け取り。按摩。按摩屋で冬至のスープのお振舞ひあり。帰宅して晩に揖保の糸茹でて食す。冬至なので南瓜も。湯圓を買つてくるのを忘れた、と今更思ひ出しても万事休す。カメラ雑誌や国際文化会館の会報など読む。この会報で同会館で開催された黒澤映画の座談会の記録があり、そりやバーナード=リーチ氏による黒澤明と日本の発表は面白い。クロサワの指向は戦後の自由な日本と個人主義。日本社会は当時、真にそれを受け入れ出来ず(が興業成績)。だが海外で評価受け逆輸入したが、その後、黒澤明が映画制作費の捻出すら困難極めたのが日本であり「世界のクロサワ」と賞する割に体感できてをらず、死後になつて崇め奉る風潮、と。御意。
若冲が晩年に描いたとみられる屏風が北陸地方の旧家で見つかつた由(朝日新聞)。なんとも見事で大胆な発想と構図で若冲らしさ。……が香港の美術界の畏友A君が「Mihoの鑑定をさう易々と信じてよいか?」と。うーん。これが若冲なら日本のイメージ画が宮崎駿のアニメーションにつながることを認識するべき。それにしても(くどいけどこれが本物なら)今更この大屏風が出てくる、つてんだから福井つてのは大したところ。
▼すつかり神通力も失せ「中国の竹村健一」と化した観あり、の常五常教授、信報での論調もさつと粗読で済ませちまふのだが19日の文章「何日君再来?」で最近、大都市からの回郷客が「搬家式」つまり家財道具一式抱へ郷里に戻るパターンが目につく、と。五常教授の文章からの孫引きになるが12日の広州・南方都市報も東莞の鉄道関係者の話として乗降客の数は目立つて増加はないが例年と違ふのは搬家式の客が多いこと、と。站舎の待合所は家財道具溢れ身動きとれず、と。鉄道の客車でそれでなくとも混むのに冷蔵庫、テレビに家具まで携帯の由。

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