富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月十二日(水)昨晩の宿酔もなく諸事に忙殺され晩に至る。北角の勝利小厨に海南鶏飯購ひ帰宅して飯す。雲なき空に十四夜の月を愛でる。
▼数日前読了の原武史昭和天皇岩波書店。いくつか覚え書き。1946年11月3日の日本国憲法公布。昭和天皇宮中三殿に「憲法公布親告の儀」挙行。著者は「新憲法の精神と矛盾しているのは言うまでもなかった」と指摘するが……。また1952年5月に昭和天皇伊勢神宮にて(香淳皇后の言による)「親しく事のなりゆきをわびさせられ」を著者は1942年に伊勢神宮参拝し勝戦祈願をあらためて謝罪したといふ意味だらうか、と推察し「天皇は独立回復にあたり少なくとも「祖宗」に対しては謝罪の言葉を表明したことになる」と指摘。本当に勝戦祈願が間違つてゐた、と詫びたのか。敗戦と皇国が他国に実質的に占領された屈辱の年月の詫び、とはとれぬか。戦後の国民体育大会や植樹祭は戦前の陸軍特別大演習に替はるイベントだといふ。軍の総帥としての天皇が訪れる各地の歓迎ぶりと地域整備はかなりのものだが、原武史氏が別の著作で紹介するやうに例へば昭和4年の水戸で朝靄のなか畏くも陛下がお伴を連れた程度で白馬に乗つて郊外に現れ付近の住民を驚かせ新聞がそれを神話の如く伝へる……さういふ構図があり。

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