富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月九日(火)晴。早晩に北角。北京より来港中のDazhao氏と食事でも、と北角のホテルで待ち合はせ、こそ/\と最近調達の、感染の怖いブツお見せしたりしてから城市花園の「自然や」。この食肆はかつて香港芸能人ご用達で名を馳せた順寿司なり。当初の順寿司のご亭主急逝から早十年。こゝにこの「自然や」開かれたご亭主は天后の「利休」に長く厨房を任された方で当然の如く利休のあの好評の酒肴、うどんなど踏襲が嬉しいところ。Z嬢来てDazhao氏とは鉄道だの路線バスだの、とかなりディープな話題が続く。ベトナムの鉄道列車が中国からの払ひ下げか?といふ問ひにDazhao氏曰く、あれはかつて昆明ハノイを結んでゐた国際列車(ハノイから見れば紅河を遡りラオカヒが国境)で現在は貨物だけで旅客営業なく、その車輌を国内特急に転用したものでせう、と。ちなみにベトナムの鉄道線路は日本の狭軌より微妙に狭い1mゲージ。これはフランス基準。で中国国内は広軌だが昆明までの鉄道はフランスが敷設のため1mゲージの由。勉強になる。
▼先日、張五常教授の信報での文章で卓球について五常教授が香港出身で中国で活躍の卓球選手・容國團についての思ひ出を語つたことはこの日剰にも綴つたところ。先週末の蘋果日報に李怡氏の「乒乓三傑」と題して1950年代の「内地」の傑出した卓球選手三名の半生を紹介。新興中国が世界のスポーツ界に進出する記念碑的第一歩は1959年に容國團による西独逸はドルトムントで開催の第25回国際卓球選手権大会で金メダル受賞。これに続き中国は卓球王国として世界に君臨し対米ピンポン外交に至るのは周知の通り。文革は卓球界にもその影響あり。文革前夜、徐寅生なる卓球選手による卓球論は毛沢東思想の卓球への活用。といつても卓球で打ち返す時は球を蒋介石の脳袋が跳ねてゐると思へ、といつた他愛ないものだが、これが毛沢東の目に留まり称賛を得たの云々、と。だが文革が本格的に始まれば体育界にも反革命分子打倒の波押し寄せ体育界の重鎮も次々と拿捕され、卓球選手でも国民党の三青団の特務とされた傳其芳は1968年4月16日、その一ヶ月後には日本のスパイとされた姜永寧、6月20日には修正主義分子とされた容國團と三人続けて首を吊り命を亡くす無惨。祖国に貢献の優秀なる卓球選手らの国家による悲劇。

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