富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-07-21

七月廿一日(月)暑くなると寝苦しいぶん熟睡できてをらぬからだらう朝さすがに早く起きられず。朝の一時間半ほどの新聞読む時間が夜にまはり、朝は美味い龍井や鉄観音など点て頭もすつきりだが晩は酒の所為で半酔半醒、なかなか新聞すら読み終はらず、で読書はひとつつも進まず。今晩はちよつと気張つて吉田秀和全集1でモーツァルト論を百数十頁読む。秀和さんにしては論が奔つてゐるなぁ、と思つたら実際に昭和22年、三十代半ば、でそりや当然。戦後すぐに三十代の秀和さんが今も健筆……嬉しいかぎり。
歌舞伎座で「四の切」幕見の築地のH君ら興味深い話あり。海老蔵君が忠実な沢瀉屋の型で早代はりも宙乗りもやる。朝日の劇評では(海老蔵は)義太夫のハラが薄く狐の親子の情愛を見せるには至らず云々「体はよく動くが、さうした主題にまでは手が届かない」と評された由。それはH君の指摘通り沢瀉屋(猿之助)がもう何百回も言はれてたこと。「ケレンに頼つて芝居の情趣が薄い」などと言はれ続けながら猿之助が「四の切り」をもう30年以上何千回とやり続け更なる改良の余地なきところまで完成させたもの。その沢瀉屋の型を市川宗家たる海老蔵が演じ、それが「主題に手が届いてゐない」と言はれるやうな時代になつた、とは……。更に今月は国立の鑑賞教室でも同じ演目で沢瀉屋型演出の競演の由(忠信は歌昇が初役)。沢瀉屋の型の四の切がすつかり「古典」の地位を得たか、すでに舞台を離れて久しい三代目がこれをどう感じてゐるかしら。だが猿之助の狐忠信をだからといつて歴史的に名演と片づけてしまはぬところがH君。三代目の沢瀉屋の型は「ケレンだから情趣がなかつた」のか、「猿之助の芝居」がそこまで熟成されてゐなかつたのか、或いは寧ろ観る側がケレンに気を取られて芝居の主題を見損なつてゐた、のか、と。「猿之助の四の切りを見た」……も再演がもはやあり得ないと思ふと、もうこれが自慢できる時代となりぬ。
▼先週末の信報。いつもその享楽ぶりに脱帽の張健雄教授、の連載。上海に遊んだ健雄先生、毎晩摂氏卅五度の上海で關愚謙教授より来電あり張五常教授が上海は九渓十八島の屋敷にて仲夏夜のBBQ晩宴と誘はれる。この暑さに何を御冗談を、が実はピアノの神童・張勝量(牛牛)を招き少年の十一歳の誕生祝賀を七十七歳の愚謙先生と七十三歳の五常先生が催さうといふ嗜好。昨年の蟹の美味い季節にはハンブルクに住まふ愚謙先生はその上海別邸に牛牛少年を招きモーツァルトなど演奏堪能したさうで、この晩も82年のマルゴー、をLafite、Moutonと開栓して少年のピアノに酔ひ、すつかりパトロンの気分の由。五常教授、米国の官憲の網を逃れ中国に潜伏、深圳の豪華マンション住まひと聞いてゐたが上海郊外の高級住宅地の九渓十八島にお住まひとは。確か今ごろ訪米中。中国に屈指の経済学者で中国政府にとつては重要な開放経済の立役者、で中国から米国に政治的判断ゆゑの特赦でも願ひが通つたのかしら。
昆明で連続バス爆破あり。三死十三傷。漫画(右肩)はこちら
▼三市十三傷。香港の芸人、梁朝偉と劉嘉玲がブータンで婚礼挙式、中国圏より百数十名の芸人がブータンに鳩る。秘境で静かな幸せのはずが意外と観光宣伝上手。

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