富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-05-02

五月二日(金)午前中大雨も昼に歇む。北京五輪聖火リレー香港席捲(と新聞は書くのだらう)。聖火リレーの沿線には確かに香港でこれまで見たこともないほどの五星紅旗の旗、旗、旗。聖火一目見むと路傍に群がる群衆の「中国加油、中国加油」のシュプレヒコール。二歳くらいの言葉も辿々しき幼な子が「我是中國人」と喋り周囲の大人の喝采チベット擁護派の集団を五星紅旗の大旗と愛国的市民取り囲み少数派は揉みくちゃにされ警察は危険性重視し少数の「国家の敵」を混乱の中から「救出」しパトカーで警察に護送(逮捕でないので事情聴取もなく釈放されやうが)。アタシは何れの旗にも與せぬ。早晩に「食の不毛地帯」太古城。シティプラザのフードコートに功徳林の出店あり冷麺食す。コンビニで購ひし一合瓶の葡萄酒を飲みながら西湾河の電影資料館まで漫歩。朱石麟の回顧展をさつと眺め故・楊徳昌監督の映画『青梅竹馬』(1985年、邦題は「台北ストーリー」か)看る。時代的にこれが邦画なら松田優作秋吉久美子の主演で決まり、だが1985年のこのエドワード監督の主演は「侯孝賢が主演してゐる」だけで椿事。四年後には『非情城市』で脚光浴びる侯孝賢監督の若いこと。けして二枚目ぢゃないが渋い性格派俳優ぶり。1985年といふ蒋経国時代末期、88年には経国総統逝去で副総統の李登輝が総統の位を襲ふ、結果論だが1985年のこの映画の台北は巨きな時代の翻りを前にした何ともいへぬ停滞感。ふと余が初めて香港から高雄に入り台湾を北上し台北に辿着いたのが1985年であつたこと彷彿。ところで今晩のこの上映、実は本来は若松孝二監督の浅間山荘映画のはずが上映取消しとなり(香港映画祭で件の映画上映されてをり日本の配給元との上映回数の契約上の問題か何か)、その代替がこれ。今晩は22時すぎから同監督の『赤軍PFLP・世界戦争宣言』の上映もあり切符も購入済みだつたが、だうにも疲労感甚だしく胃腸の具合も悪し。『青梅竹馬』の終演のあと一時間半も時間潰し日本赤軍映画看る気合ひも失せて帰宅。

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