富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-29

二月廿九日(金)曇。新界に行く用あり昼に大埔墟の和暢粥麺專家に食す。看板は粥、麺だが客家系の料理供し評判。武術の教頭が弟子に職を与へるため始めた食肆といふ話もあり。美味。晩に香港演藝学院。北京京劇院の公演。丑角(道化役)の第一人者であつた蕭長華(1878-1967、写真)讃へ丑角にはベテランの鄭岩(1941〜)招聘の、北京京劇のうち「譚派」の公演(こちら)。譚家は譚鑫培(1847-1917)、四大須生の一人と称された譚富英(1906-1977)、富英の子の五代・譚元壽などアタシでも知る名優を排し、今回の譚派はこの元壽の子六代目・譚孝曾が率ゐる。演目は緑牡丹全伝よりの「龍潭鮑駱」の「嘉興府」と「巴駱和」の二つと「烏盆記」。劇場入り口で香港政府某署のT署長居られご挨拶。香港で京劇通として著名なT氏だが今日はいつも以上にご機嫌。あとでパンフレット見たら「小花瞼藝術 記一代宗師蕭長華」なる小論を書かれてゐる。二階最前列最中央の上席に坐す。「龍潭鮑駱」は義士・鮑賜安(演ずるは韓巨明)に纏る話。忠臣蔵のうち二幕の上演のやうなもので登場人物多く筋解すのに難儀。駱広勛役の譚正岩は若い頃の松島屋彷彿させる二枚目の若手。六代目の嫡男。京劇界の覇権に食指動かす大和屋がこの七代目と親しくする由。舞台大道具など最小限度に削り簡素ながら興味深い演出。中入後は烏盆記。烏盆は文字通り黒色の鉢。宋の頃に絹織物商人の劉世昌(譚孝曾演ず)と云ふ者あり。付人の劉升と行商終へ商家に戻る途中、定遠県東大窪村で大雨に遭ひ一宿請ふたのが趙大なる者の家。趙大は劉世昌の抱く金子に目がくらみ劉世昌と劉升の夕食に毒を盛り殺害。二人の死体焼き黒い鉢を作る、と猟奇的。怨念込めての譚孝曾の歌唱は絶品。舞台が暗転のあと客間の額から抜け出した怨霊(李揚)が舞ふ態はまるで往年の沢瀉屋のやう。で場面は一転、客の喝采のなか登場したのが丑角・張別古役の鄭岩。歌舞伎なら勘三郎にニンのある役どころ。草鞋づくりで糊口凌ぐこの老人、趙家に昔の借金取り立てに参れば劉世昌殺害で富を成した趙大、烏盆の鉢を見せ、これで借金を帳消しに、と。張別古はその鉢を受取り家に帰る途中に劉世昌の霊が現はれ無念の死の復讐を請ふ。品のよゐ譚孝曾の口跡の佳さと鄭岩の丑角役の上手さの掛け合ひがお見事。十五分の中入りはさみ芝居は三時間半に及ぶ。「北京」に託つけたわけぢやないが晩飯逃したままゆゑ湾仔の北京餃子皇に参れば店仕舞ひの最中。近隣のサブヱイでサンドヰツチ食し半夜三更に帰宅。

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