富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-18

二月十八日(月)フルマラソンを走った日の晩は、膝や大腿に痛みがあっても走り切った興奮からか、あまり気にならない。僕の大好きなサミュエル=アダムスのビールを飲んで酔っぱらっている。だけど翌朝、目覚めた時は、いつもと違う身体のあちこちの痛みに、僕は42キロ走ったことをあらためて認識する。ランニングブルー(僕がつくった言葉)になる時もあるし、気持ち良く完走した翌朝は、次はいつ走れるかな?と、やたらハイになっている。今日の僕は昨日のフルの後半の伸びで、やたらハイだ。だから朝のコーヒーを飲みながら、「あれっ?、今年はもう出られるかな?」とニューヨークシティマラソンのウェブサイトを見た。今年の申込みは2月25日だ。「ちょうど1週間前に気づいた!」ってことも、なんか僕はツイている。だけど「あれっ?」と気になって確認したら、今のアメリカの大統領の任期は来年1月まで……。民主党の候補者選びが、なんかもう終盤戦みたいな勢いだから、僕はてっきり、今年のニューヨークシティマラソンのある秋には、違う人が大統領になっている、って早合点。また1年伸びちまった。僕はランニングを始めてしばらくした頃、10キロはどうにか走れる自信がついた時、僕の遠い、遠い目標をフルマラソンで、大好きなニューヨークのシティマラソンに決めた。深秋のニューヨークで、サイモン&ガーファンクルの歌声が僕の頭のなかを流れるなか、セントラルパークのゴールに走り込む。それが僕のランニングの目標だったわけだ。だけど、その時には、もう現職のあの人が大統領になっていた。だから、僕なりの些細な政治的主張として「あの人が大統領をやっているあいだはアメリカの土は踏まない」と決めた。僕の身体がフルマラソンに耐えるようになるには、まだ数年かかるし、僕のコンディションが整うころには大統領もかわってるだろう(たぶん)という、ボストンの若い精神科医のような、淡い期待があった。それが、多言はいらない……9・11のあの出来事、イラク戦争テロとの戦い(見えないヴァーチャルな仮想敵)とか今までずっと続いて、僕の好きだったアメリカは、なんか僕の期待を裏切り続け、それで僕は目標だったニューヨークシティマラソンへの参加ができないまま、2005年に香港でマラソンデビューしてしまった。そして今年が4回目。来年もたぶん香港マラソンで走るだろう。大統領は確実に別の人になっている。そのマラソンが終わった時、僕はニューヨークシティマラソンに応募する政治的な資格を得る。今年は香港と同日開催となった東京マラソンも同じようなもの。神宮外苑で走り始めた僕にとって、東京マラソンこそホームグラウンドのレースだ。だけど、僕にとって苦手な人が都知事だから東京マラソンにはちょっと出たくない。……でも都知事が違う人だったら東京マラソンこそ開催なんてなかっただろうな。都知事は昨日、「ますます東京が一つになった感じがした」って言ったらしい。僕の気持ちは一つになるどころか、東京からちょっと離れてしまっているのに。
……と以上、村上春樹風に書くとアタシの今日の気分はこんな感じ。あーあ(笑)。でもやつぱり村上春樹、凄いのは
川のことを考えようと思う。雲のことを考えようと思う。しかし本質的なところでは、なんにも考えてはいない。僕はホームメイドのこじんまりした空白の中を懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なことなのだ。誰がなんと言おうと。(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語る事』より)
つて、こんな文章が続く。すごすぎ。ただジョギングしてマラソンしてるだけだが、ここまで書けるところがさすが小説家。以上。で本日、早晩に上環の文華里で印鑑誂へる。久が原のT君に彼の席号「朗然亭」の印恵贈。赤茶の瑪瑙。予めT君に刻字は何が宜しいか尋ねると、畏友に印鑑を贈る話で思ひ出したのは、とT君が語るは、荷風散人が愛玩し終生座右に置いた印鑑「断腸亭印」は昭和廿年三月十日の東京大空襲で麻布偏奇館炎上、その焼け跡の灰の中から奇跡的に獲たもので、そもそもは谷崎大人恵贈、の故事。相手がアタシぢや不相応だが。荷風の養子・永光氏の回想録(父荷風)によれば岩波の荷風全集の奥付の検印もこの印によるものの由。で書棚から荷風全集取り出し確かめると、それ。で印鑑注文し、その足で尖沙咀。ホリデイインゴールデンマイルホテル地下のドイツ風デリカテッセン。ワルシュタイナー麦酒注文しぐいつと飲むと普段なら爽快なのに今日はどかんと疲労感と倦怠感。マラソンの疲れまじまじと感じる。Z嬢来てサラダとソーセージで軽く夕食。このホテルに限らぬが香港のホテルの従業員の質の低下は明らか。経験浅き給仕、女給ばかりでも黒服さえしつかりしてゐれば指導、統率できるはずが、黒服の不在。香港で月給12千ドルの黒服君がサービス業人材不足のマカオでは20千ドルに宿舎提供、月1度の香港帰省手当付きで優遇の由。これぢや誰だつて行つちまふ。マナーも(つて店員の)悪ければ、アタシの隣卓の客が麦酒の種類を尋ねてゐるのにさつぱり答へにもならず(だいたい本人が麦酒なんて飲むことに関心なし)、おまけにアタシもお勘定したらクレジットカードがいつになつても戻つて来ず、帳場に出向いて尋ねたらアタシの勘定はてつきり済んだと思はれたらしくアタシのクレジットカードは勘定書きのホルダーに挟まれたまま無造作に積まれた中に紛れ込んでゐる始末。呆れて言葉もなし(つてつらつら綴つてゐるが)。ちなみにこの店、テイクアウト充実で店で注文すると108ドルのウインナーソーセージ2本がテイクアウトなら28ドル。自宅で食べたはうがずつとマシ。香港文化中心。紐育フィルハーモニックの演奏会。指揮は当然、ローリン=マーツェル氏、御歳77歳だが最初の演目、モーツァルトの「フィガロの結婚序曲」とシュトラウスオーボエ協奏曲ニ長調作品144は張弦といふこの楽団の若い副指揮者で、オーボエの独奏は王亮といふこの楽団の首席オーボエ奏者。この2曲のこぢんまりした編成はアジア系団員多し。完ぺきにどさ回り(台湾〜香港〜上海〜北京〜韓国)のご当地向け。中国は遼寧省丹東(北朝鮮との国境の街、1984年にアタシは遊ぶ)出身の張弦といふ指揮者の未熟とはいへ必要以上に大振りな指揮。よくあのテンポが走る指揮に団員が乗らないもの、と感心(指揮を見てゐないから、か)。この指揮者は20歳で北京中央歌劇院を振りデビューの由。でその時の曲がこの「フィガロ」とはわかり易い。シュトラウスオーボエ曲も申し訳ないがアタシは居眠り。で中入後、御大ローリン=マーツェル氏登場。ブラームスの4番が流れ始める。アタシは思はず「待つてました〜つ!」と大向かうから声をかけさう。紐育フィル、実際に生で聴くのは初めて。だがこの楽団ほど楽団の物語をアタシなりに知つてゐて、いろんな時代のいろんな指揮者の演奏をLPやCD、雑誌の記事などで読んだのも珍しい。フルトヴェングラーによるストラヴィンスキー春の祭典」のアメリカ初演。トスカニーニメンゲルベルクの時代。ナチスの迫害逃れたユダヤ人奏者の多い時代。バーンスタイン先生のブルーノ=ワルター代役としてのデビュー。戦後のバーンスタインの時代。あのマーラーの全曲集。バーンスタイン先生の死。そして伯林を棒に振つたマーツェル氏の音楽監督就任……。この今晩の演奏について書き出したら、アタシの音楽に対する文字での表現力ではまつたく用をなさない。ブラームスの四番は、確か坂本龍一先生だつたかが「戦メリ」大好評のあとだつたかに今後の作曲活動でブラームスの四番のやうな「いかにも交響曲つて感じの曲」を書きたいといふやうな話をしてゐたこと、ふと思ひ出す(曖昧な記憶)。この曲はほんとその通り「交響曲つていへばこれ」みたいな、地方オケが定期演奏会で定番になつてさうな、だからクライバー指揮の維納フィルのCDがあつても今更あまり聴かうと思はず、小澤&サイトウキネンもいいが、アタシは今晩のブラームスの四番は生涯、忘れまい。Z嬢が演奏後に曰くロリン=マゼールは「このじやじや馬の演奏家たちをよくぞ馴らして、まとめたもんだ」。そのコメントで十分。拝みたいほどのマーツェル氏の指揮はアタシにとつてはこれが最初で最後。しつかりと目に焼けつける。来年秋よりアラン=ギルバート君が音楽監督の由。帰宅して春樹『僕が語るときに走ることについて語ること』(僕が改題した)読了。

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