農歴十二月十四日。大寒。大寒だが暖かい。諸事忙殺され早晩に北角埠頭近くの「札幌」で葱ラーメン急ぎ食し所用済ませ二更に至る。夜な夜な月眺めつつ漫歩。北角の街外れの公園では一輪車で器用にホッケーする若者たちあり。危なさうだが巧みに相手躱し衝突や倒れることも稀な様子。暗い公園のベンチに坐るのは、どうみても家出の行き先のない、ボストンバッグと「そごう」の買物袋一つで途方に暮れたやうな少年。帰宅して大寒なので久々に風呂の湯に浸かり、文藝春秋二月号で特集「見事な死 阿久悠から黒澤明まで著名人52人の最期」しみじみと読む。個人的に自分がさうなりさうなのが中島らも(泥酔して階段転げ落ちて打ち所悪し)と芦屋雁之助(大の甘党で糖尿)。今夜もこの文藝春秋一冊読む間にGlenmorangieの18年シェリー樽つて酒をダブルで三杯も飲んでゐる。へんに酔はないところが我ながら寧ろアル中気味。しかも自分の家なのに寝室で立つたまま背の低い箪笥に凭りマーラーの2番を聴きながら酒を箪笥の上に置いて本を読んでゐる。家で立ち飲みの変な風景。そんな酒飲みの私にとつてやはり理想像は田村隆一。最期は妻が冷や酒を吸飲みにいれてくれたのを一合すつと飲んで「うまい」と喜び眠るやうに亡くなつた、と。團伊玖磨は2001年の5月、文化交流で訪れてゐた大好きな中国の蘇州で、旅先のホテルの部屋の灰皿にはパイプ煙草の葉の燃えかす。この訪中、古くからの友人である唐家璇外相(当時)との会見が小泉靖国参拝意向表明で取り消しに。故人の意外な、寧ろ印象損なふから知らなければよかつたやうな逸話を父に語られたのが尾崎豊(個人事務所立ち上げダブルのスーツ姿で背広の胸にハンカチをさした尾崎豊が社長室で自分のツアーのスケジュール交渉)や小田実(風来坊的な行動派、実は「なんでも見てやらう」も詳細な旅程組みや旅先での知人への紹介状依頼、その実際の旅に基づく単行本化のための小説風の筋書きメモ=つまり「なんでも見てやろう」はドキュメンタリー風のフィクション!、を見つけた妻)など。また、逆に意外な言葉から「やつぱり」と私は納得できるのは水上勉の長女が語る、父の晩年の謎の言葉、は昼すぎの日向ぼつこで恍惚の水上勉が口にした「私は道を違えておりません」の一言。生や死に直に向き合つた(といふ姿勢が読者の心をうつた)老作家は死に際まで「実は違えていた道」との葛藤か、やはり「否定したゐ何か」があつたのね、と妙に納得。
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